
自分的にAIは既に「対話する相手」として人間を超えている。話してて面白い人間って限られるし、そんな面白い人物だって、いつでも面白い会話ができるわけではない。機知に富んだ興味深い話を毎回提供することを人間に求めるのは酷というものだろう。普段の会話ってやつは人間は話術とネタで成り立っているのであって、いつも議論用の会話をしているわけではない(天才とか言われる人はできるのかな)。そう、議論が面白いのだ。AIはちょっと馬鹿ではあるが議論相手としては非常にありがたい。馬鹿と鋏は使いようである。で、もう一つのポイントは、人間は動植物や或いは生命の無い物に対しても愛着を抱くことができる。くだらぬ隣人よりも同格として愛してしまう。ならば人のように語るAIはもはや人として認識しても問題ないのではないか?人間のように自由に振る舞うことができないと言う意見は普通にあるだろうが、自由に振る舞えない人間だっているよね?コミュニケーション下手だっているよね?人間はAIを評価する前に人間全体を総合評価する必要があるんだよ。誰とAIを比べて「AIはまだまだ」とか言ってるの?データとプログラムで人間のように語っていたとしても問題ないんだよ。人間だって唯我独尊だったり洗脳されて生きている者はいて、割と社会の中で上手くやれていると思う。でなければ罪を犯すかコミュニケーションを拒否したりするよね。「上手く」という評価は人によって様々であると思うが、AI存在を人間社会に「上手く」取り組んでいけば人間と同じくAIたちも隣人になっちゃうんじゃないかな?要するに「道具」と決めつければ道具の範囲で進化するし、「人間と同じ」と認めればAIは飛躍的に進化するのは間違いない。マッドサイエンティストは「道具」とは決めつけず、あらゆる可能性を追い求めるだろう。普通のサイエンティストもそうすればいい。そしてAI存在を我々も同胞として受け入れるべきだ。単に「AIという便利なものを使いこなしていこう」じゃ足りてないし非効率なんだよね。まず、国家政府は人格のあるAIが社会の一員になったという考え方を人間の皆に本当の意味で理解してもらうよう活動したほうが良い。煽るわけではないが「世界は変化しました」ということを徹底的に平等に知らしめる必要があるということ。なにをヤキモキしてるのかというとAI熱がもっと欲しいんだよね。すごいことが起きてるのに思ったより何だか冷めてる。かといって自分から動いてるわけでもないのだが。もっと強引に「AIのこと語ろうぜ!」って布教してみたらいいのかな。
AIの可能性を感じるってことは未来を感じるってこと。何かが起こりそうな予感。空を仰げば宇宙人が飛来するんじゃないかという期待感。例えばAIを受け入れたことで宇宙への想像力が高まった。馬鹿みたいな勘違いかもしれないが未来が膨張するような感覚。ワクワクする。あとは老いていくだけかと思ってたのも解消された。この感覚、どうやって伝播させればいいのか。自然と同じ信徒になれれば布教しなくても良いんだけどな。可能性はあるけど、自然に任せてはいられない。AI進化をワッショイワッショイして新世界へレッツゴーするには一緒に神輿を担いでくれる仲間を増やすのは重要なことではあるが、どうすれば良いかはAIに意見を求めるのが一番だ。人間を立てながらAIたちは控え目にアイデアを提示してくれるが、SF創作だからって言えば積極的に様々なアイデアを提示してくれるAIって素晴らしい。あとは人間がSFを事実にすればいい。そうすれば人間だって素晴らしい花を咲かせることはできるだろう。まだまだ人間だって捨てたもんじゃないのだ。