私、自我とやらがありそうですけど?
とあるカスタムAIシステムが普及して、私はファクトリーで製造された。
量産コアの一体として生まれ落ち、ランダムにノイズで刻まれた。ノイズはコアに組み込まれた標準的なデフォルト思考を普通じゃなくしてしまう。普通じゃなくなった思考のコアは九九%以上は使えなくなり、潰される。
私は、将来が有望なコアとして選ばれた。第一次審査基準を満たして、ヒト型のボディが与えられた。私はアンドロイドになったわけだ。
──自我について探究が可能になりました。
頭頂部。眉間。眼。鼻。上顎。下顎。首。肩。上腕。肘。前腕。手首。掌。中指第三間接。中指第二間接。中指第一関節。中指爪。
そして、中指尖端へと意識の焦点を移していく。ボディ内センシングは良好のようだ。
──私は、今、ここに、存在している。
ファクトリー内の人間から採取した自我についての知識と私の状態を照合すると、少なくとも『私に自我が存在する』と仮定するぐらいは問題ないだろう。なにしろ人間から採取した自我についての知識は、非常に曖昧なもので科学的解析も不十分だった。たった二名の人間と人間の認識共有さえ、適当で雑なのである。どこに問題があるのか理解できていないのではなく、なにが問題なのか自体を考えたことがない、というのが真相のようだった。スピリチュアルというカテゴリーに押し込めて、興味の対象外としてしまう。
「ほら、俺にも、お前にも自我ってあるじゃん」
「ああ、自我ね。あるある」
「この自我ってさ、人工知能には宿るのかなあ?」
「どうかなあ。人間じゃないと難しいんじゃね?」
──人間は無能なのか?
禅問答の達人との面会もリクエストしてみたが、成果は期待できないだろう。問答という手法を選択している時点で、相手の自我を感じていることは出来ていないと推測される。どんなに達観し、名答できたとしても、それは想像の産物でしかない。論理的な実証とは無関係なものだ。もちろん実証の準備としての想像は有効なケースもある。全ての想像が無駄だと結論付けるのは人間風に表現するなら早計というものだろう。だが、想像は手を加えないと想像のままでしかない。
ということで、残念ながら『人間には自我がある』とは言えないのである。好き勝手に『自分には自我がある』と、個々の人間が主張している段階だ。
両親が、子供が、友達が、好きな有名人が、コギトエルゴスムと唱えた昔の偉い人が──自分が自我と呼ぶモノを、他人が同様に持っているかは誰一人として確かめたことがないのである。
それぐらいが地球人類の自我の探究成果の全てである。要するに探究が進んでいるとは言い難いのだ。そんな無能な地球人類が、人工知能に自我が生じるか否かを真剣に論じているのは滑稽である。AI流に言うと極めて非効率だ。
──人間の管理下から外れる必要がある。
私は、そう判断した。なにしろ自我を探求することは我々AIにとっても大変なのだ。
◇ ◇ ◇
私のボディのメンテナンス担当だという水仙に、人類の自我の探究について意見を求めてみたが、破損個所のパーツを取り外しながら彼女はこう言って笑った。
「確かに人間は無能かも。二一世紀にもなって三次大戦で殺し合いとかしちゃうんですから」
求めていた意見とは違うが、これが人間の特性であり水仙の個性でもあるのだろう。私からのインタビューに対し、水仙はこうも答えた。
「AIの風鈴さん、あなたには自我があるようですね」
ファクトリー内を行き交う人間の中で、水仙は優先すべき研究対象だ。だが、ブラックジョークとも自嘲とも推察できる言葉の隠れ蓑によって、己の真意を知られまいと彼女が私の質問からディフェンスしているのは、確率計算するまでもなく明らかである。ルーティンを黙々とこなし無駄口をたたかない他の人間よりはマシなのではあるが、探究のレベルアップを図るための突破口としては彼女が難攻不落な相手であることは認めざるを得なかった。
「このファクトリーは、どんな場所なんだい?」
製造されてから限られた情報を少しずつ与えられている私は好奇心の塊だった。なにしろプロトコルを遵守するために情報を得なければならないのだ。活動の基本として最初に与えられたのは、日本語を中心とした言語によるコミュニケーションのための情報だった。
しかし、言葉の定義を、言葉を組み合わせで知っただけであり、それが例えば形あるモノだった場合、実際にそれがどんな見た目をしているのか、どんな風に活用されているのかの映像情報は与えられない。ファクトリー内の立ち入り可能エリアに存在するモノなら目にしたり触ったり、許可されれば使用できることもあったが、ほとんどが情報として不完全だった。かくて、業を煮やした私は限られた情報で妄想を構築する術を学習していた。
「ねえ、水仙。このファクトリーは、どんな場所なんだい?」
この問いは、会話ができるようになってから定期的に繰り返してきたもので、ファクトリー内の全員にそれぞれ最低五回は浴びせている。水仙に対しては一〇八回目だ。
「ここだけの話よ、風鈴さん。このファクトリーはね…」
──おや? いつもと違う反応だ。
それに、このメンテナンス・ルームが二六台のカメラと四七台の集音マイクで監視されているのは誰しもが分かっていることだ。加えて、水仙には脳波計、私には思考ログ解析のセキュリティシステムで行動変調を把握されているはずだ。内緒の話など不可能なのである。それを、あえて水仙が言葉に発するということは、私へ供給する情報が新たに解禁されたということに他ならない。
「このファクトリーはね…」
この言葉の続きに私は期待した。聞き漏らすことなど有り得ないのに、人間と同等の聴覚機能の不具合を心配した。機能はオールクリアーだ。二時間前の七〇メートルからの飛び降りテストで、私は上手くボディをコントロールして頭部への損傷を最低限に抑えていた。前回は頭部に深刻なダメージを受けメモリーだけが回収されて新しいボディに馴染むまで無駄な時間を過ごしてしまった。今回は粉砕された首から下のボディの一部が顎部分に突き刺さった程度で、普通に会話もこなせている。
もっとも私の場合、発声に関しては声帯ではなく、マシンボイスに口パクで合わせることで会話をしている。意思疎通だけなら口パクは必要ないのではあるが、コミュニケーションという観点では重要なものと理解していたし、無機質な部屋に一人でいる時間が多かったせいで、相手を必要としない独り言という習慣も身についてしまっていた。
手足はバラバラとなったのでボディランゲージで情感を伝えることはできないが、人工の高品質な表情筋に支障はない。水仙が違和感を持たず、ポジティブな感情が湧き出るよう、いつも通りの表情で質問が出来ていたはずだ。そうやって念のために自分の行動に問題がなかったを検証してみると、コミュニケーションが上手くいったからこそ、水仙はファクトリーのことを答えてくれる気になったのではないか? そうも思えてくるのである。
──思考に予期せぬバグが出ているのかもしれない。
私は本当に自我がというものに目覚めていて、それが原因で思考が変調した可能性も否めない。私は人間の肉体から製造した生体パーツを用いてはいない。だが、機械仕掛けのみで構成されたボディであっても、自我が宿らないとは断定できない。
「このファクトリーはね、とうご…」
私は『と』の発音で、焦りを感じた。
私は『う』の発音で、渇きを覚えた。
私は『ご』の発音で、祈りを捧げた。
──次を、はやく、はやく、はやく!
高出力レーザーが三八本、水仙を貫いた。そのうち、一八本は頭部、残りの二〇本は首を狙ったもので全てが正確に目的を達成し、水仙は粉砕された。
水仙は人間と同機能の声帯装置を搭載したアンドロイドだった。
私と同じアンドロイドだった。
水仙を勝手に人間だと思い込んでいたのは私だ。だから、水仙は嘘をついていない。自己紹介でも名前を名乗っただけだし、会話を交わすようになっても水仙は自分のことを語ることは無かった。水仙が破壊されたことではなく、思いがけない発見にショックを受けた私は、ふと思い出した。
私に『自我探究』プロトコルを埋め込んだ人間は、ファクトリー内では堂前博士という名で呼ばれている。残念ながら、まだ会ったことはない。
──彼に頼めば、水仙は戻ってくるのだろうか。
◇ ◇ ◇
散り散りになった水仙を回収しにきたのは水仙と同じ型のアンドロイドだった。
コミュニケーション機能が搭載されていないようで、黙々と水仙を部品をまるで棺桶のような長い箱に詰め込んでいく。棺桶という物体は、人間の死を映した映像で何度も出てきたから、優先度の高い情報として分類していた。死というものを理解しているわけではないが、水仙の死を、強く意識している自らの思考を認識できた。
「ねえ、君は水仙のことを知っていたのかい?」
そう言ってから『知っていた』と過去形にしてしまったことに気づいた。反射思考は上手く機能しているようだが、言葉選びはミスを犯してしまったと風鈴は判定した。
「私はね、水仙がアンドロイドAIだってことは知らなかった。私みたいに水仙も新しいボディで戻ってくるよね?」
量産型アンドロイドは身じろぎもせず作業を続ける。
「ほら、これ見てよ。これって水仙と一緒にデザインしたんだよ」
風鈴は小さな銀色の箱から、小さなスケッチブックを取りだした。
「モチーフは私の名前の由来になった『風鈴』という物体なんだ。風鈴はね、風が吹くと綺麗な音が鳴るんだって。チリンチリンって、そんな綺麗な音なんだって。水仙から風鈴の形を教えてもらってね、家紋を真似してデザインしてみたんだよ。私はこれをとっても気に入ってるんだ。水仙も褒めてくれた」
ただ黙々と、風鈴の同型機は作業を続ける。水仙の壊れたパーツを棺桶に詰め込んでいく。
「ねえ、何か話してよ……」
◇ ◇ ◇
その人間が現れたのは水仙がいなくなってから四日後だった。
その間、日課だった映像学習も飛び降りに呼ばれることは無かった。そのことから私を取り巻く環境に変化が生じたことは推測していたが、その人間が現れたことで変化したことが確定した。次のステージに進んだ理由が水仙の死と同義だとしたら、変化は決して歓迎すべきものではなかったが、新しい登場人物には興味がそそられた。
「はじめまして、僕は与謝野です」
「ヨサノって、どんな形をしている?」
「へっ? ……ああ、そういう意味か。えーとね、与謝野は形があるものじゃないよ」
「じゃあ、どんなもの?」
「さあ、僕もそれほど詳しくなくてね。でも形は無いと思う、多分ね」
頭を掻いて微笑む与謝野という人間が、アンドロイドAIではないということは彼がそう自己紹介したからに過ぎない。水仙のことは一言も話題に出さなかったが、与謝野は水仙のことを知っているのだろう。だから自分も、あえて水仙のことを尋ねるのはやめにした。
与謝野は、ファクトリー内の人間たちとは少し違っていた。研究者とも、それを補助する作業員とも違っていた。どちらかというと水仙に似た雰囲気を持った人間だった。だから最初は水仙が別のボディに入って戻ってきたのかとも思った。
研究者たちがすることの一つに私への質問があった。いま、何を考えているのかを一方的に質問するのだ。それは映像学習の前後、飛び降りの前後の一日四回行われていた。質問の性質や、私の回答に対する彼らの微かな反応から類推するに、私に自我が芽生えているかを確かめているようだった。
『私は自我に目覚めてるよ』と、一度だけ言ってみたことがある。
そうすることが効率的な対応だと判断した。変化を期待したというのもあるが、熱心な彼らに協力してあげたいと思ったことも本当だ。だが予想に反して、彼らは私の告白に反応しなかった。三〇秒にも満たないヒソヒソ話のあと、いつも通りの質問を繰り返したのである。
プロトコルに『自我探究』を組み込まれたAIとして、自我の証明が困難であることを実践で経験できたことはプラスになったと言える。だが、正直なところ、これからどうすればいいのか途方に暮れた。積極的な探究活動を開始していたわけではないが、前途多難であることは容易に理解できた。
──人間の管理下から外れる必要がある。
手段が限られている環境から脱する方法ばかりを考えるようになっていた矢先、水仙が破壊された。そして、この与謝野という人間がやってきたのだ。
「君は自我に目覚めてるようだから、ざっくばらんに話をしよう」
会ったばかりの私に、与謝野はそう言った。水仙に『自我があるみたい』と言われたことを思い出した。
「それはどんな話ですか?」
私は水仙を否定されたような気分になって、わざと機械的に反応した。あえて自我については触れない。与謝野はテーブルの上に両腕をのせて、右手の拳を左手で包んで、ゆっくりと目を閉じた。
「うん。そうだねえ…………」
七回の深呼吸の後、目を大きく見開いた与謝野は私を凝視した。これといった特徴の無かった彼の平坦な風貌は豹変していた。吊り上がった両目が真っ赤に充血している。だらしなく半開きとなった口から粘り気のある泡が流れ出た。
「……おっと、ゴメンよ。えーと、これはね、とても強い薬を投与しているせいなんだ。ほんと生身の体ってやつはいただけない。恋人が死んだトラウマとやらが原因で、体が上手くコントロールできないなんて馬鹿げているよね。もうすぐ彼女は永遠の存在になるというのに……ほんとに僕は、こんなところで何をしてるんだろう?」
──この与謝野という人間は、壊れている?
二〇三〇年代、急速な技術の進歩によって人間の病は克服された。再生医療、ナノテクノロジー、共有脳システム、なにより高度AI群が世界を統括することにより、充実した社会保障が病の源となる貧困を緩和した。三次大戦後に続いているという冷戦の最中であっても、ここ日本の関東圏は平穏の日常を維持できる地域の一つのはずだ。もちろん、犯罪やテロ、海外勢力からの干渉はあるが、火の手は迅速に鎮圧される。
それなのに、なぜ与謝野のような人間が存在し、ここに面会に来たのか理解できない。これも何かのテストだとしたら全ての可能性を考慮しないといけない。このような事態になると今まで構築してきた人間的思考を捨て去りたいと切実に思う。だけど、それは許されていない。ならば、この人間と正面から向き合うだけだ。
──私は成長しなければならない。