「また明日ね」
「ああ、また明日」
ずっと小さな頃から、この冴えないオウム返ししかできない自分が嫌いだった。成長し、教育を受けて言葉が蓄積されていくのを意識するたび自己嫌悪に陥ってしまう。新しい言葉を覚えても新しい行動ができるわけじゃない。そうして、なす術もなく、真由美への想いは水滴が岩を削るように蓄積してきたのだ。
真由美が手を小さく振って家に入るのを見送る。扉が閉まってから十秒数えて、我が家に向けてトボトボと歩きだす。
──これから先もずっと、何も変わらないのかな。
いつもの、あきらめが歩みを重くする。
一緒に砂遊びをしていた真由美は『高嶺の花』と呼ぶに相応しい存在になってしまった。不甲斐ない自分には『ただの幼馴染み』と言い聞かせるしかない。
真由美と別れた後の家路は虚ろだ。
恋を意識した時から、虚ろな道、虚ろな時間。
小学生、中学生、高校生──この高校三年の今まで、ずっと繰り返してきた。
恋心は熱くなるでもなく冷めるわけでもなく、初々しい純粋な形と光のままに心の底に安置され、気後れという鎖でがんじがらめになっている。狂おしくなりながらも今まで平静を保てたのは、ひとえに真由美が変わらなかったお陰だ。
小学生になる前までは真由美の家の隣に住んでいた。引っ越すと決まった頃は真由美と会えなくると思い込み、泣き通しだったことは照れくさい思い出だ。久しぶりに手を繋いでの入学式は無邪気にはしゃいだことも覚えている。
引っ越し先は街外れにある遺跡の近くだった。教育区画との中間ぐらいに真由美の家はある。朝、真由美の家に行くまでの土手の景色が好きになった。そして逆に帰りは沈鬱な景色となる。夕焼けを綺麗と思ったことは無い。
寂しいだけの道のり。それがずっと今まで続いてきた。
そんな興味の無くなった夕焼けの中に、今日は見慣れぬ物があった。
──誰だ? 人じゃない?
人間ではない。しかし人型をしている。微動だにしない人型の何かだが、ロボットのような機械仕掛けを感じさせるものでもない。歩いてきたままに惰性で三歩だけ歩みを進めると、少しずつ、その人型の様子が分かってきた。
──生き物? 人型ではあるが、人ではない生き物!?
その肌は濃い緑色をしていた。筋肉の隆起と見受けられる背中。その生き物は背を向けていた。よく見ると緑の肌色に似た、緑の服を着ているようだ。形状は、あえて例えるならばオーバーオールだが、この地球上では存在しないデザインに思えた。今時、奇抜なデザインは幾らでも発表されるし、大衆にも受け入れられている。だが、確かにそれには違和感があったのだ。
──地球上に存在しない、だって?
そんな自分自身の思考に疑問符が浮かぶ。クラスメイトの誰かが仕掛けた悪ふざけてあってほしいと思わずにはいられない。だが、その願いを全否定するように、その緑色の人型は、圧倒的なリアリティがあった。
──靴もちょっと変わっているな。爪先立ちに合わせた構造。よく見れば膝が鳥類のように逆関節になっている。あれ……俺、なんで、こんなに細かく観察してるんだ? パニックになると逆に冷静になれるなんて古典的な展開だけど、その後に惨殺されるパターンかな。
人間ならば頭部である位置に視線を移す。
緑色の後頭部。そこに髪に当たるものは一本も無い。
──そうだ、爬虫類だ。体を支えるように尻尾がある。ちょっと変わった大型の爬虫類。いや、小型の恐竜と言ったほうが正しいかもしれない。
この個体がスキンヘッドなのかもしれないが、爬虫類に髪があるという想像は普通しない。でも、そんな宇宙人キャラをどこかで見たことがあると思いながら、目の前の生物が爬虫類であることを正解に導きたい自分が実に滑稽だ。大型の爬虫類であるなら普通に危険極まりない。要するに俺は未知なる者が怖いのだろう。
その爬虫類の頭がゆっくりと振り返った。
丸い赤い眼が六つ……それが俺を凝視している。
──俺を引き裂いて、喰いちぎる?
いままで何故か平静だったのに、初めてそこで戦慄した。
──ちょっと待てよ! トカゲ人間に喰われるなんて、ふざけんな!!
トカゲ人間はギシギシと奇妙な音を立てて一歩一歩近づいてくる。あまりの未知なる恐怖に硬直して体が動かない。見たくないのに一挙手一投足をまじまじと観察してしまう。いつの間にか、トカゲ人間の両手は、それぞれ金属製の長い棒状の物を持っていた。
──逃げなきゃ!
必死に動こうとした結果は、わずかに後退りできただけだった。目の前まで近づいてきた、トカゲ人間が左手の棒を高々と振り上げた。
これで終わり、と強く目を閉じた。すぐさま棒が脳天にのめりこむだろう。本来は十秒に満たない時間のストップモーションに拍車がかかる。真由美の楽しそうな顔、真由美のはにかんだ顔、真由美のびっくりした顔、真由美のちょっと怒った顔、真由美の悲しそうな顔……浮かんでは消えていく。いまさら真由美に伝えたかったと後悔しても遅いのだ。
しかし、いつまで経ってもグシャリとならなかった。背後から誰かの声が響いた。
「そこで終わり。わかってるよね?」
透き通るような声。恐る恐る目を開けるとトカゲ人間は棒を振り上げたまま静止していた。恐怖にすくんだままの体をプルプルと震えながら少しずつ動かして背後を確かめると、そこには見慣れた制服を着た女の子が背後に立っていた。一瞬、真由美かと思ったが、よく見ると覚えのない顔だった。
「君は……?」
それだけ振り絞ると後は声が続かない。
「藤堂真くん、お話しましょ」
彼女が微笑した瞬間、視界がグルグルと回転し、辺りが真っ白になっていく。
「俺の名前を知ってる? 君は誰?」
トカゲ人がグルグル回って笑ってる。
見知らぬ美少女とトカゲ人がグルグル回って笑ってる。
◇ ◇ ◇
──ん……ベッドで寝てたのか?
見慣れた天井。頭痛と共に目を開けると、そこは自分の部屋だった。
──あれ? 誰かいる?
ぼやけた焦点を勉強机の方向に合わせると、椅子に座っていたのは土手で会った見知らぬ女の子だった。
「大丈夫?」
「き、君、その制服、嵐山だよね……」
大きな目、大きな瞳に真っ直ぐ見つめられて、彼女の問いには答えず、少々的外れな質問で返してしまった。
「そうだよ! 明日から私も竜ノ宮学園の生徒なんだよ!」
にっこり笑うと幼い雰囲気をかもし出す。
「タツノミヤ学園? 嵐山学園だよね?」
「なに言ってるの? 竜ノ宮でしょ? 忘れちゃった?」
「え……あ……ああ、そうだったかな。竜ノ宮学園に転校してきたんだね」
「そういうこと!」
「えーと、君が家に連れてきてくれたのかな?」
自分の質問に眉をひそめる。
──この華奢な女の子が俺を土手から家まで運んだのか? タクシー頼んでくれた?
「シャイオが運んでくれたんだよ」
──シャイオ? あ!
「もしかして、あのトカゲ人間のことか!?」
「トカゲ? ああ、爬虫類ってやつね。どっちかというと昆虫類に近いんだけど。でも、まあいいわ。詳しい説明はが面倒だから、とりあえずトカゲのシャイオね。そう、パラナラのシャイオ!」
だらしなく口をあけたまま混乱している俺を、見透かしたように彼女は口を開いた。
「この星の未来は、あなた次第なんだから。しっかりしてよね」
「この星って地球のことか?……というか君は何者なんだ!?」
待ってましたとばかりに彼女は理解不能なことを語り続ける。
「私はシーティアのメイム。よろしく、地球代表さん! 今日はただの御挨拶。裁定はこの星の時間で言うと……えーと、七日後ぐらいかな」
「代表? どういうこと!?」
「あなたが、この星の代表であることは、宇宙の記憶に刻まれていること。ちょっぴり可哀想だけど、逃げられないよ! じゃあ、そろそろかな。また会いましょ!」
「逃げられない? ちょっと待って!」
途端に、視界が真っ白になり、重力がなくなった。
「うわああああっ!」
コラム
地球にやってきた地球外知的生命体を戦力的に出し抜くことなど不可能だ。広大な宇宙を超えて地球に到来するということは高度なテクノロジーを有しているはずだ。あるいは宇宙に耐えられる身体をもっているだろう。火星にすら行けていない地球人類が彼らを迎撃するなど笑止千万のアイデアだと認識すべきなのである。『〈戦闘妖精雪風〉のジャム』や『〈シドニアの騎士〉のガウナ』のような地球人類の想像を軽く凌駕するタイプは、交渉の可能性すら無いのだ。もし、彼らが心が広かったり迂闊な存在であるならば、つけ込む隙はあるかもしれない。だが、圧倒的存在である彼らに、そんなことを選択する意味があるだろうか? だからこそ彼らに下等種族である地球人類を新境地に連れていってもらえることを期待せずにはいられない。今の地球上のルーティンのごとく死ぬまで続いていく日常が無くなってしまうのは少々寂しいけど、大小の様々な停滞地獄から解放されるなら、とても良いことだと思うのだ。