DELUSION

2024.2.28:本業のゲーム開発が佳境である。思い入れの持てないプロジェクトが長く続くと結構しんどいものだが、正しくSF創作に逃避できればモチベーションは維持できる。そう、正しく逃避できればの話だ。どうもスイッチの切り替えが下手なもんで本業のネガティブを引きずってしまう。我ながら不器用というか頭が固いなぁ。

さて、なんとなくA.I.C.O.を久しぶりに観てみたら『バースト』ってクリティカルに使ってるぅ~!もっと早く観ておけば良かった。うあ~まいったね~。さすがに同系で同じにしちゃうのは厳しいなあ。また何か考えないといかんのかぁ。ふぅ。『バースト』に行きつくまでに結構な時間を悩んだのになぁ。いい感じのオリジナル用語を設定するのって大変だねぃ。過去からの世界中の作品と被らないようにするのは不可能と思うので、どこかで割り切っても良いのだろうが、さすがにA.I.C.O.と同じはなぁ~。はぁ。他にも課題となってる用語は山積みだし。まあ、バーストを新宿で起こそうと思ってるんで『そりゃ新宿スワンでバーストだろ!』って引っ掛かってもいたので、頑張って楽しみながら検討していこう。SF創作の面白いところではあるしな。

さてさて、何度も繰り返し述べていることではあるが、他人の思考なんて100%理解できるわけがない。白か黒か、どちらを選択するかなら100%当てることができるかもしれない。しかし、選択するに到った正確な経緯など知る術はないのだ。それが刹那の思考だとしてもである。自分が即断したと感じていたとしても、それが本当か証明する方法など無いのだから、少なくとも本能的に試行錯誤していると考えてたほうが無難だろう。なので小説創作において思考の流れを書いていると嘘っぽく感じられてしまうことがある。もちろん小説ならば刹那の思考について100ページ書いたって良いわけだが、それを読み手に納得させるには相当に優れた筆力が必要になるだろう。それに刹那小説を書きたいわけじゃないからバランス的に選択できない手法ではある。でも10ページぐらいなら有りかな。誰視点で書くのかって難しく慣れないけど『ハイクロ』ならではの視点を編み出せるよう意識してみるのも悪くないかも。

024.2.23:シズラーで野菜たらふく喰らってきたよ。新しい発想が必要と感じたときはファミレスに落書き帳と色鉛筆を持ち込むんでドリンクバーで過ごすことが多い。PCの前だと便利なもので妄想手法が画一化してしまう。だから紙に依存する。アナログからの発想だ。スマフォがあれば検索もできるが最低限の使用しかしない。そもそもスマフォで仕事できるほど使い込んでないし。家に帰ってから検索したりする。紙と向き合う時間が大事なのだ。で、今日は無性に野菜が食べたくなったので今日はシズラーでやってみることにした。それに野菜を食べながら考えれば、いつもとは違うアイデアが浮かぶであろうという思いつきでもある。野菜好きなもんで、サラダバーだけで十分に楽しめるし、元は十分に取れる自信はあった。和風系の野菜料理があると嬉しいのだが、それじゃ手間がかかってコストが上がるだろうしな。まあ、しょーがない。シャクシャク、ポキポキしながら未来世界に想いをはせてみた。

古来、物語というものは人間的な存在が登場する。それは神だったり動物だったりしても同じである。登場人物がいなくても、やはり人間的な思考によって物語が構築される。人間的な思考の範疇を超えることがないのは、人間が人間に伝えるための手段なのだから致し方ないところだろう。『ハイクロ』では様々な非人間存在を取り扱っている。そして、その非人間存在たちが人間の存在を意識することによって人間的な思考をすることにしている。だから語り部である僕が人間思考で下手に変換するのではなく、新鮮素材そのままで何とかなるように考えてみることにする。もちろん作品をまとめるにあたってはハードルを高くしてしまうことになる。人間的思考で書かなければ何を意図しているのか読者に伝わりにくくなるのは当たり前。でも伝わりやすくする必要はないと定義する。岡田斗司夫による高畑勲の演出評がヒントになった。さて、どうしたものか。

物語を読む者は物語を理解したいと本能的に努力するだろう。それが映像と違うところだと思う。少なくとも文字や言葉を学んでないと楽しむことはできない。サイレントでない限りは映像だってセリフがあるので同じと言えるかもしれないが、見てれば何となく伝わるだろう。もちろんエンタメ作品として創作しているので映像化やゲーム化は目標である。だから、小説だけに通用する手法にしてはいけないと感じる。う~ん、ハードル高いなあ。具体的に例を挙げると、人外の言い分を説明するために共演者に人間を置くのは簡単な手法であり、今回の答えにはならない。というか普通なんで面白くない。人外オンリーの世界を人外的に解説できるのか?ということなのだ。そういう意味では『アルジャーノンに花束を』の手法も使えない。音声にならなくとも言語を使用する限りは、どうにもならないようにも思えるが、なんとかなりそうな直感はある。要するに人間的な表現を抑制する方向は違うだろう。

登場人物が何を伝えようとしているのか不明という前提に立つ。語り部はそれを直接フォローせずに主に状況を描写することで読者の想像力を喚起するというか依存しなければ成立しないぐらいに考える。決してメタ人間である語り部(つまり僕)の人間味を出さずに人間的表現をする。『未知との遭遇』を未知側に成りきってみること。その場に相手となる人間は不在とすることも徹底的に意識する必要がある。これは筆力よりもシステムの問題。良い文章か否かは後でいい。まずは続けてみようと決意する野菜デーなのであった。肉は食い過ぎると胸がムカムカして後悔するけど、野菜ってすごいなあ。

2024.2.21:なんとなく『恋は雨上がりのように』というアニメを久しぶりに見てたらコーヒーが出来るまでに小説を執筆するというネタが出てきた。執筆を志す者ならば特に目新しいアイデアでもないと思うが、今はとにかく文章を書いて少しでも筆力を上げたいと思っているので、どうしたら短時間で成果を出せるのか取り組み方を検討してみた。色々考えて一石二鳥系のアイデアが続けれられる推進力になるだろうと考えを定めることにした。『ハイクロ』の悩みの一つとして色々な設定が未成熟なままに複雑に絡みあってるというものがある。物語の幅を制限していないので当たり前だったりするのだが、そうなってくるとモブレベルの人物が幾らでも欲しくなってくる。いままではメイン部分を進めていくことに応じて必要な脇役のアイデアを出す流れだったのが、それでは世界が登場人物で埋まるのは遠すぎる。そこで、キャラクター列伝のモブ版作業の一環としてミニ小説を書いてみることにした。「モブにも語れば長い人生がある!」というスローガンを念頭にしつつ役回りは後で考えればよい。文章としての出来映えは気にせずに、ハイクロ設定の束縛から逃れ自由気ままに書いてみるのだ。「・・うん。書けるぞ」思ったよりイイ感じだ。というより起承転結の起を思わせぶりタップリに書くのは得意だし。あとはショートショートとして成立させるだけだ。いつもは同じところを何度も書き直してしまうのだが、とにかく筆を進めよう。これはナカナカの精神修行にもなるなあ。続けられれば素晴らしいかも。ただ、問題点が一つ。最初に思いついて書いてみた科捜研のモブキャラがモブにしておくには勿体ないほど面白キャラとして思いのほか膨らんでしまった。まぁ、それはそれで収穫なわけだし、いきなりモブ卒業ってのは普通にありえる展開だろう。モブ不足は解消されないことにはなるが、メインのほうを書き進めるための弾みになれば御の字だな。なにより執筆成果にはなっている。なんだかボトムアップ的に構築していける予感がしてきたぞ。ちなみに、その科捜研キャラの名前は沢口靖子さんから一字を頂いて靖村とした。話は脱線するが「靖」を使ってる苗字って少ないんだねえ。もっと多いかと思ってたんだけど、漢字の成り立ちの問題かな?・・想像するに興味深い。