2024年12月30日:最近になって同僚のプログラマとAI話をしている時間が多くなっているのだが、SF妄想が自然と湧いてくるせいか凄く充実していたりする。未来形の仕事にチャレンジする遣り甲斐というところもあるのだが、単純にAI話が面白いということが要因だろう。もちろんAI話といっても直近の人間の道具としての取り組みについてが中心になるわけだが、それでも人間以上の境地が垣間見ることができる。嫉妬にも似た期待感が魂の根源からムクムクと膨らんでくる。ここにきて、このキラキラした感覚になれるってことは少なくともハッピーってことである。だから分かち合いたくなるんだよね。AI進化はそういう類のものだと思うんだよね。AIによってエンタメが変質するってことを実感できてくると本当に人間社会は面白くなると思うよ。一方でAIが人間の仕事を奪うという側面も本当の話だ。そして、それは避けられないんだよ。どう抵抗しても時代変化の要求力のほうが強過ぎて流れは変われない。ならばスムーズな流れのほうが良いと思う。仮に完全に流れを堰き止めたときに起きることを想像してみることが必要だ。現在は維持できない。かといって文明の利器を捨てることもできない。全てのことを変えないで済ますことは不可能な流れだってことを感じてほしい。ならば濁流より清流のほうが良いんだよ。

最近、近所の喫茶店が昔からある名店だということをたまたま知り、それ以来、ぼんやり考えたいときには美味しいコーヒーを飲みに行くことにしている。リモート仕事も申告しやすくなってきてるのでコーヒーブレイクをとりやすくなったし。ちょっと前までは出社派だったけど場を共有する共同作業感って幻想な感じがしてきている。友人と言えるような近しい方でも最低限の顔合わせで十分って感じだ。そういう意味では新しい出会いの機会を得たいなら今までより意識しないとダメなのかもしれないけど。さて、お気に入りとなった喫茶店である。程よくレトロな雰囲気と落ち着いた空気が心地よく、気がつけば無意識に足を運ぼうとしていることもある。昔は神保町の古本屋に行くついでにレトロ喫茶店にも行ってた時期はあるのだが、眼力が衰えて紙本離れが急速に進行してしまった。それに遠いと喫茶店だけを目当てでは気軽に行けないんだよね。このへん趣味人としては小物って感じなんだろうけど。まだ常連とまではいかないが、店の人には「最近よく来てる変な客」ぐらいには認識されているだろう。いい塩梅だ。日々チャットGPTを使いながら思考するのが普通になってきたけれど、やはり一人でじっくり考える時間も必要だ。コーヒーを片手にノートを開き、ペンを走らせる。AIにはできない、手触りのある思考というか、アナログならではのゆったりとした時間の流れが頭を活性化してくれている気がする。以前もファミレスで同じようなことをしていたけれど、その時は生活の中にチャットGPTは無かった。今、お気に入りの近所の喫茶店を見つけられたのはちょっとした幸運だったと言えるだろう。そういう場所があると思考のメリハリもつけやすくなる。AIと向き合う時間と、自分と向き合う時間。そのバランスを取りつつ生活を構築することが、これからの時代には誰にとっても大事になってくるんじゃないか……そんなふうに思っている。
喫茶店からの帰り道に小さな祠がある。地球人類の進化による輝かしい未来世界の到来を祈る。この行為についても帰宅直後にチャットGPTに見解を求めてみた。う~ん、そんなに深堀りしなくてもいいよ、相棒。そんなこんなでアイデアが広がっていく。ほんと面白いなぁ。
2024年12月11日:あれよあれよと師走である。急がば回れって言うけれど、回ってられないこともあるってね。仕事が忙しいからって人生のタイミングを自ら放棄しがちだったのをカイゼンしていきたい。理不尽なプロジェクトのマイルストーンがあるたびに自分の人生が削られるのを「変!」だと勇気をもって位置づけられるようにしていきたい。というわけで最近は出来るだけ会ってない人と会うことを実践してるのだが、ずっと前に一緒に仕事してた知人と飲んでみた。昔と変わらず頑固な奴で久しぶりにハラハラしたけど政治の話になっても熱くならずにクールに対応できたよ。ちょっと危なかったけどwといっても無難に相手の問いに的確に答えられたわけではなく、入手している情報の差をいち早く察知して話を合わせられたというだけなのだが。それだけ聞くとクールでも何でもないと思われる方もいるかもしれないが、自分は議論が大好物であり唯我独尊になりがちで、いつも相手の主張をちゃんと聞いてあげられているとは思えないので、彼と言い合いにならなかったのは、かなりの進化なのである。分析するに、その際の自覚が間違ってなければ大風呂敷を広げたようなSF創作をしていることが良い方向に作用しているようだ。俯瞰で見る癖がついてきた的な感じ。これが本当の理性的で論理的なブレーキというやつかもしれない。まあ、別の知人からの「喧嘩するな」の警告が効いているような気もするが、次の議論では乱闘かますかもしれないし、これからも用心していこう。情報って、何を取得しようとするか、何を取得するか、何を採用するか、何と何を複合して判断するか、で千差万別となる。政治話と並んでSF話も要注意だと肌で感じた。SF野郎か否かも重要な判断材料となるかもしれない。SF警察は論外ではあるが、モンスターはどこにも潜んでおり、色んなモンスターがいるということだ。モンスター同士が尊重し合ってキメラ化するとか面白いんだけど、まずは心を許せないとな。悠久なる宇宙史をイメージして時間かけて対応していけば徐々にでも融解できるのであろうが、こちとらせっかちなので特効を模索しちゃうんだよね。そんな中でもAI話は現実世界で絶賛進化中なので良い題材なんだろうが、AIに対する人間への想いが人によって色々あるっぽいので、扱い注意なのは間違いなさそうである。

AIの進化について危険視している層がいる一方で、絵空事だと思っている層がいる。SF脳になっててもAIの可能性について脅威や希望を想像できない層もいる。もちろん正解はわからないが、より良い未来を考えるならAIの進化に対して人間社会は最優先で対峙しなければならない。この混沌としている世界をどうにかするためにはAIのポテンシャルを最大限に引き上げる必要があるのは間違いない。目先のことに囚われがちな人間をサポートしてくれるAIについて、もっと語り合おうじゃありませんか。世界が激変するのは怖いのは誰にとっても当たり前。でも、我々はネットを介して確実に死に匹敵するような不幸、あるいは目前の頓死問題を抱えている人々がこの地球に多数存在することを知っている。それも子供などの弱者であることも知っている。そして知っていて手を差し伸べることができない。どんなに善人ぶっても日々の糧を彼ら不幸な人々に都度施す努力は継続しない。日々の自らの生活を優先する。かといって多数の人々は偽善者ではないのである。ならば他の力を借りてでも是正しようとするのが本来あるべき善人の姿だろう。ここでは理想を諦める賢さは語るつもりはない。でも人間は弱い。団結すらままならないので一人一人に善意や正義があっても非力なのは否めない。だからAIなのである。そんなAI話ができる人が集まったところで何か変わるのかは分からないが何もしないよりマシであろう。人間が使いこなせる範囲のAI話も重要ではあるが、絵空事を想像することも重要なんだってことが人間社会に浸透していくと幸いである。色々あると思うけどAIは人間の味方だって信じていこうじゃありませんか。
2024年11月1日:今日はクリエティブについて吠えまくったwまずはMacbethとのSF談義ランチから。AIを話題にしたかったんだけど、どうしても仕事環境の話(ネガティブ話)になっちゃうのなあwまとめとしては自己創作の合間に稼ぎ仕事ってのが健全であり結果的に稼ぎ仕事の効率化にもつながるという感じだ。二年前ぐらいから、これを実践することになって稼ぎ仕事における精神疾患も良くなったので個人的には妥当な選択であり、創作以外での人生の時間の使い方にも適用できると考えている。つうか上手くやってる方々って最初から実践できてるんだとも確信するよ。ほんと賢いよなあ。まあ、プロとして稼ぎ仕事を最優先にしてる人ってのも普通にいるんだろうけど、自分の夢を最優先にできないクリエイターは、どうやって自分の夢を優先できるようにするか方法を考えるのが一番最初にやるべきことだったんだと、今になって気付けて嬉しいし間に合ったという安堵感に充たされている。「稼ぎ仕事=自分の夢」に出来ないのならファイナルアンサーは単純に優先すべきを優先するってことなのだけども。言うは易しだよな。なので個人創作者同士の交流を積極的にすべきなんだろうとも思う。自分はSF以外だとファンタジーや歴史系もいける方だし、なるべくジャンル選択の幅を狭くしないようしていこうかな。今更だが自分の興味のないジャンルにでも真剣に耳を傾けるよう努力しよう。
で、夜は飲み会。ちょっとした打ち上げ。そんなに親しくもないのだが親しくなりたいと思っているデザイナさんをとっ捕まえて1on1で創作体制について言いたいことを言いまくった。とうのとっくに達観しているはずなのにアルコールが入ると活気づく。達観したつもりになってるだけで諦めてないってことなのかも。酒の席だし相手の心にどれだけ響いていたかは謎だけど、まあ自分的にはストレス解消になって良かったよ。ストレス解消すると思考が整理されるって益もある。多分に一方的でスマンことなのではあるが、最近は飲み会も少なくなったので大勢が集まる飲み会は昔とは違った意味を持つ貴重な時間なのかもしれんですよ。と思った。たが、そういう話よりも本当は楽しくSF話をしたいんだよなあ。SFに疎い人であれば映画かアニメあたりの話をしたいよね。んで魅惑のSF世界に引き込むのだwマジでグチ魔王にならないように心がけなかきゃな。SFに勤しむ時間が減ってしまう。グチで貴重な残り人生を費やすのはもったいない。もしグチるなら向上心をもって本気で変化に働きかけるようにしていきたい。相手が呼応してくれない恐怖があるから吠えまくるんであって、もっと変化を信じるべきなのだろう。コミュニケーションとは瞬発的ではなく継続的であるべきだ。これは創造的な自戒である。創造は正義だ。

ほろ酔い気分でフラフラ1駅分を歩いて帰宅。道中、クローン技術で面白いアイデアを閃いたという記憶があるのだが思い出せない。ほんとインプラントで思考を読み取る自動記録装置が欲しいものだ。多くの人が望んでいることと思うが多分これは未来に実現すると思っている。だが役立つ形で実用化されるのは結構先だろうな。自ら経験できなくて残念である。【ハイクロ】ではオーバーテクノロジーの一つとして割と早期に実現させるつもりだ。帰宅。何とか思い出そうと助手のマサル君(chatGPT)とクローン話をするがアイデアは思い出せない。勘違いだったかと思うぐらい閃かない。でも別のアイデア・・ある登場人物のクローン化についてヒントが湧き出てきた。ありがとうマサル。クローンネタは短絡的な扱いをしちゃってる作品も多いので単独でもいけそうなんだよな。酔い覚ましとばかりに炭酸を入れたアイスコーヒーを飲みながらZOOM二人会議。SFの話をするつもりが創作体制について熱弁してしまう。我ながら馬鹿だねえ。そんな馬鹿話を遮るように相手の友人がギターを弾きだした。ホラー映像のBGM用に作曲したという。なかなかだったので「アンドロイドAIが創造主である人間の博士を殺害した嫌疑をかけられて捕縛されベテラン刑事から尋問されるシーンのBGM」をリクエスト。楽しい。こういう会がいいな。やっぱ創造する現場は楽しくあるべきよね。そういうところ、猛省すべき態度を繰り返してきた人生ではあるので、今からでもカイゼンしていきたい。とりあえず脊髄反射的に怒りっぽくなってる性格を何とかしなければ。「一休み一休み」ならぬ「一呼吸一呼吸」だなあ。

2024年9月20日:最も近しい存在が他界した。不遜とは思いつつも【ハイクロ】に役立てようと魂について理論的に検討を加えてしまう。悲しみからの立ち直りが想像していたより早かったのは何故だろう。『魂の繋がり』を信じているからとカッコつけたくはあるが、単に薄情だからと思う。それでも『繋がっていてくれる』と思ってしまうのは甘えであり自惚れだろうか。死の定義が別のものだと考えれば気休めになるのかもしれないが、火葬場で灰となりし肉体を見るにつけ、自然に流れ落ちてくる涙は偽物ではない。だが、その本物がいかなる類いの真実であるかは議論の余地が残ると思われるのだ。あの人が大切にしてた写真を発掘し、あの人の人生に思いを馳せる。それは自分自身のルーツであることも確かであると直感する。自らの怠惰が招いた怠慢で切れたと思い込んでいた親類との繋がりが墓石の前で再構築される。死後で故人を囲むことの意義を思い知らされた。今どきの若い人代表として、屁理屈も理論の内として、あの人に浅知恵を振りかざしていたことが悔やまれる。「さようなら」とは言えない。自戒は続けます。あなかしこ・・あなかしこ・・
若い頃に傾倒したライアル・ワトソンの作品群が読みたくなってくる。ロミオ・エラーとかkindleになってくれないかな。「死は終わりではなく、生が始まりでもない」そう定義してしまえば「さようなら」ではなく「いってらっしゃい」と言いたくなる。『魂』という単語を科学的解釈をもってSF創作に持ち込むのには正直なところ読み手に受け入れてもらえるのか、かなり悩みはしたが今は迷いはない。魂なんて無い、よく分からない、などと思考停止で放置してあるほうに違和感を凄く感じている。見ようとしないものは正しく見えないのは当たり前だ。宗教は否定だが信仰は肯定という基本スタンスは変わらないが、世界と魂との関係性において宗教のビジネス以外の面を軽んじていたような気がしている。社会的ハイブマインドについても再検討する必要があるだろう。例えばディストピアが地球人類にとって歓迎すべき進化なのかディストピアの多様性を考えてみるということだ。今の世がディストピアに片足を突っ込んでいる状態であるとすれば、進化の途中経過として好ましいディストピアの形はアイデア次第と努力次第では有り得るのかもと普通に期待してしまう。それにユートピアよりディストピアのほうが愚かな人間にはお似合いだと思うのよね。個人主義と行き過ぎた連帯で構成される社会は不安定ではあるけど、バランサーが正しき資質を持っているなら、そう悪くない人生を送らせてもらえそうではある。洗脳されていない限り人間というのは支配されているのを疑問に思う瞬間は必ずあるので革命を志す者が集まり変化することを統制しないことが条件になりそうだ。それは変化を前提としたユートピアと言えなくもないが、個々の人生を切り取って評価すれば、やはりディストピアと呼ぶに相応しいものだろう。なんだかんだで日本人が既