SF的日常からの妄想整理|星屑収集記
このページは、SF妄想を記録した雑文置き場。「ハイクロを中心にした創作物の思いつき」「ハイブマインド(集合意識)の未来」「時間や社会の在り方」などなど……思うがまま綴っていく。またSF考察を通じて、現代社会や歴史の真相についても思索していきたい。
ピース連結のイメージ
2025年11月29日:S級主人公周りのピースを漠然とした思いつきで色々と撒き散らしてきたけど、「AIと人類進化のプロジェクト」に立ち返り、現状ピースの最初に生み出した意図を再確認していたところ、連動して繋がってくるイメージが湧いてきた。意外と的確なピースを用意できていた手応えなもんで、我ながら野生の勘が素晴らしいと思っているwこれから一本の糸を紡ぐために後付けの解釈が付与されていくわけなのだが、ピタピタと上手くピースが嵌る感じがあると、これがなかなかワクワクする作業であるね。沈んでいたキャラクターが活き活きとしてくる。「あのへん出来が悪いんだよなあ・・後で何とかしなければ」という箇所がいっぱいあるので、コアとなる部分がしっくりしていくと、報われた感も湧いてくる。まあ、自画自賛してても、しょーがない。まだまだ埋めないといけない設定もあるし、調整が必要な設定もある。それに読者あっての代物だ。自分と読者を連結するイメージを構築していかなければ!と、やる気が出てきた今日この頃。創作を続けるためのメリハリは効果的だと思うけど、不断の努力を怠ける理屈にしないよう注意しなければ。

明智十志は、AIに育てられ共に喜び楽しむ。怒り悲しみAIから離れて彷徨する。人間とは異なる存在としてAIを許して身を委ねる。かつて反抗した父親と同じ道を辿る。
対して、この世の中はAIに対して様々な想いが渦巻いている。AIに未来を重ねるとき同胞である隣人の想いが重くなる。ネットでは不毛な罵り合いが続き、諦めた者は孤高を演じている。
過渡期とはいえ、AIのことを本気で考えている人が少ないのだろう。いや「考える」というよりは「学ぶ」ということか。たが何を学ぶべきなのか。そこでSF創作である。自分の未来を妄想している人は幾らでもいるだろう。だが、社会や地球人類の未来を妄想している人が意外と少ないのではないか?ニュースやエンタメに触れた際に生じる脊髄反射的な思考ぐらいでは妄想とは言えない。妄想は創作と言えるレベルと定義すれば解りやすいだろう。逆に言うとSF創作と呼ぶにはSF妄想の質量が必要ということだ。さらにSF創作によって何を成すのか?という目標があると「学ぶ」意義を見い出せるのだと思う。
【ハイクロ】の作中表現によって自分なりの具体的な意見を伝えられるだろうか。「AIと人類進化のプロジェクト」というスローガンに見合う構造。やりたいことが今更ながら見えてきたような気がする。
昨今の政情にポジティブ感が湧いてくると創作にも集中できる。少なくとも世を憂う時間が減れば創作に回す時間が増えることになる。危機感があったほうが創作意欲が向上する人もいるかもしれないが自分の場合は心に余裕がないと著しく進捗は低下する。多くのエンタメは闘争があり平静を取り戻す。特に他人を害する手段を彩るような恐怖と流血と痛みが前提となる物語は否定しないし、むしろ面白さを追究する上では肯定するけれど、知的欲求がくすぐられるような作品を作ってみたいものだ。そういう意味ではAIと人間との関わりには、地球人類を良き方向に導きうる、お宝が眠っているはずだ。この週末は「典型的であろうAIエンタメ」としてスルーしていた作品群を観ていたのだが、とても参考になった。典型的なものの中にある普遍的なアイデアは誰しもが理解しやすいものだ。ひねくれたストーリーを書きがちな自分ではあるが、ひねりすぎて的外れにならないように気を付けよう。自分には無理だと最初から選択肢に入れていないような剛速球を目指してみるのも悪くないかもしれない。
とまあ精神的に多少マシなってきたと言っても日本レベルの話。世界レベルのサプライズが欲しいよなぁ。
SF的蛇足とピュアストーリーの関係
2025年11月15日:AI事業のゲーム仕事でハイファンタジー系のお話を考えている。内容というよりシステム構造について試行錯誤しているのだが、これが純粋に面白い。日頃の小説創作ではジャンル問わずSF的ネタ&自分なりの見解をブチ込んでしまうので成果物はSFに染まってしまう。この仕事ではSF要素というか余計な要素は入れないほうが良いため、物語として純粋なものが求められてるという感じだ。創作に主張をブチ込むのは悪いことではない。しかし牧歌的とも言えるストーリーを考えてみるのも悪くない。本来の自分がやるなら歴史小説や時代小説ならば自然にそうなるかもしれないが、トールキンやロードス島戦記にはまってたことを思い出せばハイファンタジーでも出来ないことはないだろう。
芥川賞をとったAIを創作に利用したことが話題の小説『東京都同情塔』はあきらかにSFだし、今や文学の域おいてもSF要素を排除するのは意図的にやらないと難しいご時勢になっていると思う。地球人類が未来へ進んでいくために皆がSF脳になるのは個人的に喜ばしいのではあるが、物語作りの純粋という枠組みの中ではSF思考は蛇足なことをしがちなのも否めない。未来を語ることは必ずしもSFである必要はないし、タイムマシンが介在しない昔だってSF要素は見いだせる。ジャンルにSFの垣根は無いということだが、自創作にSFの芝生を敷いてしまうことによって確実に失っているものがあるという認識は忘れないようにしたい。特にSF設定に時間を費やしている【ハイクロ】では、そろそろ純粋なストーリー創りを意識して作業をしたほうが吉を見いだせそうではある。言い換えると文章を構築するにも色々あるってことかな。もともと【ハイクロ】は「主人公設定をして高校に入学するシーン」から書いて高校生活を書いてみたりしていた。今やその主人公(の1人)はずっと放置されているが、普通のシーンを書くことの効能について、よく咀嚼してみたい。頭でっかちにならないように注意だね。
↑AIにはボディが無いってところを語ってくれるのが凄く良い。AIの次の段階はボディを持つこと。【ハイクロ】では基本的にボディを持つAIを活躍させる。歴史的にも我々の歴史よりも早く成立させる。ただし今の我々のAI接触体験もお話にしたいと思っている。欲張りだけど自分の体験としてオモシロイのだから仕方が無い。【ハイクロ】初期からゴールドアイ(GOLD_EYEならぬGOLD_AI)という神的AIを設定しているが、最近は維武大八まわりのことを書く上でChatGODというAIサービスを登場させてみている。設定的にどのぐらいのポテンシャルがあるのか検討中ではあるがChatGPT等の次に来るものとして定義できると良いなと漠然と考えている。その上で、重要な主人公の一人である明智十志が、カスタムAIシステム「玉響(たまゆら)」サビース開始するのは2049年の予定だったが前倒しする必要があるかもしれない。秋葉愛(AKIBA_AIね)も昇華させないとな。21世紀になる前に、ボディ有り魂付きAIは実現しているというのがオーバーテクノロジー設定としては決まっているので、ヒーロー周りと一般社会の「書き分けと同調」を納得してもらいたいので、そこは自分の設定力と筆力次第ではあるのだが……遣り甲斐あるねぇ。
話を戻そう。ハイファンタジーのお話をAI生成させてのゲーム開発。それには、まずゲーム性としてのフレームワークが重要だ。仕事としてはゲームなのであるが、ゲームで物語を読ませてみたい!という目標を達成できるのであれば、小説創作にも転用できるだろう。道具レベルのAIを使うならば人間の使い方がクローズアップされる。効率を目指すならば単純に人間がリライトすれば良いということではないと思うのである。UIだったりペーパー本だったり文字が載る状態を意識することで新しい読ませ方を発見できる。活字を読者に伝えることは難しいからこそ取り組み価値はある。読書好き、ではない読者にとって、どんなフレームワークが必要なのか真っ向から考えるタイミングが来てたという感じである。アドベンチャーブック以来、漠然と思っていた読書という伝達の弱点を克服できるのか?AIが普及した今だからこそ検討する意義があるのだと思う。とても興味深い。
SF戦国と戦国SFの比較論法
2025年10月25日:少し前に仕事場の同僚と戦国武将の話をして楽しかった。すごく久しぶりだったので熱くなってしまった。これがまたマイナー武将を互いに知っていて好みが同じ方向ってのが素晴らしかったんだけどもね。もともと自分は戦国野郎だったのだが、その固執を手放してしまった原因はSF好きになったことによって歴史全般に興味が移ったのが決め手になったと思う。なかなか素の人間能力のままでは対象が広くなると濃さは維持できないよねぇ……色んなことを追究できるように早く進化したいな!
この二カ月ほどは通勤時間のSF読書を中断して歴史小説を読んでいたりする。とても新鮮であり自分が戦国時代が好きなことを再確認する。歴史小説とは広くは逸話や捏造、後世創作を含めてのものであり全てが真実とは言えない。しかしヒントが散りばめられた推理小説だと考えれば、非常に興味深いものである。小説を楽しむのと同時に、歴史の真相を楽しむことができる。ノンフィクションの推理は妄想力があれば迫力あるものとなり、作者の調査結果や考え方にも触れて、自分の推理と比較することもできる。つまり多層的に楽しめるのである。

特に滝口康彦先生や赤木駿介先生の作品が好きでなあ。ほんと素晴らしい。時代小説の領域に被ってくるが隆慶一郎先生や藤沢周平先生の作品も読みたくなってきたよ。この楽しみって全然わからない人がいるのも仕方ないことなんだけど、面白いだけではなくて文学的にも素晴らしいんだよね。歴史への好奇心と共に日本語の妙を堪能することができるのも素敵なんだよね。歴史小説⇔時代小説⇔文学小説の行ったり来たりは今までの読書人生では普通にあった。これからはSF小説⇔歴史小説⇔時代小説⇔文学小説を意識してみようかな。
歴史でSFといえば普通はタイムスリップものを想像するだろう。【ハイクロ】では前からタイムスリップものは否定しているので、違ったアプローチを行っている。最近になっての設定カゼインによって『時間』という概念自体は、人間という生物が宇宙の法則を理解するために作り出したもの、という感じに採用することにしたのであるが、この考え方はオリジナルではないしトレンドのようだ。だが、それに気付くまで自分が『時間』という当たり前に縛られていたことを理解した。SFのステップアップは気付きが全てであると言っても過言ではないと肌で感じることができた出来事だった。一見。科学っぽくSFっぽいことであってもアイデアの飛躍を抑制しているということだ。よくよく注意したい。
SFの本質は、宇宙や未来を描くことにあるのではなく、人間の理解そのものを拡張することにあるのだろう。時間を知覚の構造として捉えるテッド・チャン的思考(映画メッセージ原作「あなたの人生の物語」は詩的でもある)と、理屈によって宇宙法則を再設計するラリイ・ニーヴン的感性(今だからこそ読みたいノウンスペース・シリーズ!)。一見、異なる方向を向いているようでいて、実際には「世界とは意識の投影である」という一点で深く交わっている。SFとは、科学を題材にした物語ではなく、哲学を体験するための装置だと言える。担い手として、外の宇宙を観測するのではなく、内側の宇宙を発見するための思考実験を繰り返す。その過程で訪れる気付きこそが、認識の構造を変えて新たな世界観を生み出していく。それこそがSFを楽しむ価値であり、SFを創る醍醐味だと思うのだ。
【ハイクロ】にはマニアックな戦国武将も登場するというか、かなりコアな役回りをさせているのだが、当初は無理矢理にくっつけた感が否めなかった。だが最近の時間に関する検討において、ちょっとした考え方の採用でしっくりきてしまった。SF創作をしていてゾクゾクする瞬間である。アイデア自体は古くからあったものかもしれない。だが、自分の方向性としっくりする感覚が自然と湧き上あがることが重要なのだと思う。基本的に理屈でSF設定を詰めている時間が長いので、パズルのピースが「はまる」ような歓喜が、もっと多くなるような取り組み方をしていくべきなのだろう。もっと頭を柔らかくする努力しないとなぁ。
