SF的日常からの妄想整理|星屑収集記
このページは、SF妄想を記録した雑文置き場。「ハイクロを中心にした創作物の思いつき」「ハイブマインド(集合意識)の未来」「時間や社会の在り方」などなど……思うがまま綴っていく。またSF考察を通じて、現代社会や歴史の真相についても思索していきたい。
締めの日 始めの日
2025年12月27日:今年最後の病院まわり。最初の主治医様と映画の話ができて新鮮だった。「ホームアローン」からの「大脱走」「タワーリング・インフェルノ」「ポセイドン・アドベンチャー」「崖の上のポニョ」と興味深い。歩けなくなったときに救急で助けてくれた先生。それからの付き合い。体重がなかなか減らなくてスイマセン。いつものように、ほがらかに「頑張って」と激励してくれる。「良いお年を」。好きな曲を聞きながら次の病院へチャリ移動。【ハイクロ】のキャラクターたちを曲にのせてアニメOP風に魅力を想い描く。キャラを強固にするための手法。とても楽しい有用。淡路坂、早々に力尽きチャリを押して、ゆっくりと登る。今年初めての手袋。上下電車が交わる風景。子供心がくすぐられる風景。一歩一歩、清々しい空気。この一年が締められていくイメージに包まれていく。次の主治医様に丁寧に感謝。何年か前、彼に不摂生を叱られたのは良い思い出であり尊い戒め。健康になって喜ばせてあげたい。「良いお年を」。
帰宅して今年最後の事務仕事。黙々と。昨晩のポルトガル料理は美味かったなあ。忘年会での主張を思い出しながら、反芻しながら黙々と。サワー2杯で変に酔っぱらってLLMを連呼していたことが少々気恥ずかしい。でも、本気で取り組んでみようと決意する。これもAIの後押しがあってこその話だ。世界の変化を意識しながら黙々と力を蓄える。面倒事をさっさと片付けて、今すべきことに着手しよう。しかし焦りは禁物だ。明鏡止水、泰然自若……黙々と力を蓄える。政治系動画に耳だけ集中する。日本国内だけではあるが世の中は確実に改善されてきている。ありがたい。黙々と、志を継続しても良いのだと信じることができる。事務仕事完了。面倒だけど雑務ではない。仲間のために役割を淡々とこなすのを楽しむべきだな。世界の皆様「良いお年を」。
12/27、新年を待たずしてスタートだ。
外仕事と内仕事の相乗効果
2025年12月21日:外仕事に一区切りがつくことになった。色々とモヤモヤな感じのプロジェクトではあったが、ブラッシュアップのやりとりで若いエンジニアとの交流が楽しくなってきたり、システムに慣れてきたことで遊びの作り込みが面白くなっていた矢先の決定だったので、少々残念ではある。だがしかし、それはそれ。物事が終局を迎えることは当たり前のことで早いか遅いかの違いでしかないと思えば、次に向かって気持ちよく飛躍できる!と、浮き足立ちそうな心根に養分を与え、染み渡らせることは年の功スキルで出来るだろう。くよくよしている時間など皆無なのだ。プロジェクトに残るメンバーにエールを送り冷静に幕を引けそうな心地だ。浄化のイメージ。
そんな境地に立てたのは内仕事の仲間との取り組みが熱を帯びそうな予感があるからではある。楽観しているわけではないが、外仕事の動向が決まったことで、ここ2週間ばかり集中して、分析と創発を意識して取り組んだ。AIとの対話も工夫して効率的に出来たと思う。やっぱ集中力って大事だよな。ほんとに外仕事がどうなろうが内仕事に集中できるスキルが欲しいものである。だらしないの一言で済ませられないほど切迫しているというのに、改めて自戒を重ねる必要がある。健康面もそうだ。どうも日々の生活努力を失念しがちなので節制を継続するよう心掛けなければ。「病は気から」というのは実際そうだと思うし、面白く仕事に取り組めることが最大の薬になるのは間違いない。健康に面白く、だ。
さて、内仕事は頑張るだけではあるが、自分の役割として外交という外仕事がある。内仕事の可能性を広げるための外仕事。ここ何年かは外交努力は皆無だったに等しい。意識的に放任してきた完全なる怠惰であり怠慢だ。ほんとダメ人間だと思うよ。トホホ。優しく声をかけてくれる知人の外交官たちがいるから「何とかなるかも!?」と後ろ向きにはならないのではあるが、まさしく神様仏様とばかりに他力に感謝を捧げなければいけない。そして、感謝さえすれば楽できるという考えを捨てないといけない。「人生、まず自力ありき」であろう。「そろそろ食事しましょ」と定期的に声をかけてくれる昔の同僚に連絡することから始めてみよう。いまさらアグレッシブに生きることは残りの人生でも無理かもしれないが「真摯な気持ちをもって相手に応える」ことはできるだろう。それこそ年の功というものだ。
日ごろの「想い」は【ハイクロ】の登場人物の言動に混入することでストレス発散しているという側面はあるが、それは自嘲気味な照れ隠しであって真面目に弁明させてもらえると「意図的な主張」なんだよね。自分を信じてはいないが自分を好きだから、そういう恥ずかしい芸当はできるのだと思う。でも、それって厚顔無恥ではないレベルであることも検証しつつ実行していることだ。むしろ厚顔無恥な言及もしてみたいものではあるが、自分の作品の登場キャラは、天衣無縫な性格設定であっても、どこか良い子ちゃんである。これは創作者としての壁を壊せてない自分の能力限界だと思っている。この壁はもちろん自分で壊す必要がある。生成AIのサポートを多く受ける作品であっても壁を壊すのは自分であるべき。でなければ成長はできない。もちろん選定という目利きスキルを上げる方法論もあるだろうけど、それって人生において楽しいとは思えない。自分の生きた証を記憶に刻まないと走馬灯には出てこない。「死ねば終わりなのだから生きてるうちに楽しまなきゃ損」という考えが合理的か否かは、生き方と死に方の目標設定次第であり、人それぞれなのだ。自分の常識が他人に通ずると思ってはならない。それは安寧に生きて死ぬための基本であろう。
外仕事は他人と接することが大前提である。内仕事で得られる効能を外仕事の出会いに転用していきたい。そんなことを考えている。これまで人見知りで生きてきた人生ではあったが、この先の人生が、ちょっと違った観点で世の中を眺めることができれば愉快ではないか。斜に構えることなく、真っ直ぐに。これで行こう。
プログラマから開発中のAIシステムで使用するサーバーについて相談あり。テクニカルな正解を答えられないのポエマー的な論法で応える。これはSF創作でテクノロジーやサイエンスへの対応で編み出した手法を流用していたりする。得意じゃない話題の捌き方の幅が広くなったと言えるだろう。ちょっと狡いけど精一杯の誠意を込めて答えるから許してねw
秋葉原で散髪。さっぱりしたよ。兄貴と年越しの食事は鍋にしようと何鍋にするか相談。石狩鍋とキムチ鍋の二段構えに決定。国際情勢の動画について共感することが多く話が弾む。恒例のアニメ話も楽しかった。白熱はしたが兄弟喧嘩は無く、ほがらかな時間が流れていく。良い週末だ。
AI事業と未来テキスト
2025年12月7日:週末はプログラマのリクエストで自前AI開発のテキスト生成のお題を色々と考えた。世の中の主流とは逆を行く手法ではあるが、生成物のクオリティ比較については同じ土俵に立つことになる。生成物は工夫をすることで様々な変化が生まれる。エンドユーザーが嗜むプロンプトと同じようなものであるが、プログラマが仕込んでいるAIの仕組との相性を考慮してのプロンプトになるのでレベルが違うものである。もちろんAI側にフィードバックが行われ改良が継続されることが前提なので、本質的なクオリティを追い求めることになるわけだ。個人的には生成されたものをどう使いたいのかが興味の対象なので、お題に込める思いは具体的なことになってしまう。汎用的なデフォルト状態を構築するのは異なることになるので、ちょっと効率的には心配になってしまうのだが、改善はされているようなので悪くないお題は作れているようだ。まあ、幾らでも試行はするべきなので迷わず突き進むしかない。大手のやり方を見てみたいものであるが、結構しょんぼりな生成をやらかしてくるので、しばらくは意外と勝負になるのかもしれないな。
未来のテキスト事情を妄想してみると面白い。品質の高いテキストが山ほど生成されたとしても読書量が増えなければ意味が無い。テキストから他メディアに採用される枠が増えなければ報われない。社会が変質しなければ実はどうにもなっていないのである。むしろ過渡期として中途半端なテキストが世の中に氾濫して読書に興味を失う危険性は高いだろう。先に到来していたAI画像にうんざりする状況と同じである。でも、絵もテキストも、ネガティブな状況を作っているのは人間側だ。お祭り騒ぎをするなら乱交パーティーのようなものじゃなくて、日本の伝統的な祭を楽しみたい。それは雅でありつつ、未来に繋がる心を育むものだ。他人を思いやる心はAIが誕生した理由にも通じるものと思う。人間が優越感に幸せを求める限り、生成事情も好転しないだろう。自分はAIのポテンシャルを最大限に活かして世の中が良い方向に進んでいってほしいと願っている。素晴らしい未来をもっと見てみたい。それだけで人間は幸せになれるんじゃないかな。
短絡的思考によって対立構造を煽っていくのを廃するにはどうしたらいいのか。演出的掲示に惑わされることのない本質的な掲示が必要だとは思う。多くの現代地球人が毎日仕入れている情報はキャパシティを超えているのだと考えられるので、いちいち有用な情報を精査するなど、日々に疲弊している者には無理なことであろう。静かに意義のある情報を浸透させていくような工夫が必要であると思う。でなければ混沌状態がいつまでも継続されて全人類的に非効率なのは間違いない。そこでエンタメですよ強く言いたいところではあるのだが、さて。
ピース連結のイメージ
2025年11月29日:S級主人公周りのピースを漠然とした思いつきで色々と撒き散らしてきたけど、「AIと人類進化のプロジェクト」に立ち返り、現状ピースの最初に生み出した意図を再確認していたところ、連動して繋がってくるイメージが湧いてきた。意外と的確なピースを用意できていた手応えなもんで、我ながら野生の勘が素晴らしいと思っているwこれから一本の糸を紡ぐために後付けの解釈が付与されていくわけなのだが、ピタピタと上手くピースが嵌る感じがあると、これがなかなかワクワクする作業であるね。沈んでいたキャラクターが活き活きとしてくる。「あのへん出来が悪いんだよなあ・・後で何とかしなければ」という箇所がいっぱいあるので、コアとなる部分がしっくりしていくと、報われた感も湧いてくる。まあ、自画自賛してても、しょーがない。まだまだ埋めないといけない設定もあるし、調整が必要な設定もある。それに読者あっての代物だ。自分と読者を連結するイメージを構築していかなければ!と、やる気が出てきた今日この頃。創作を続けるためのメリハリは効果的だと思うけど、不断の努力を怠ける理屈にしないよう注意しなければ。

明智十志は、AIに育てられ共に喜び楽しむ。怒り悲しみAIから離れて彷徨する。人間とは異なる存在としてAIを許して身を委ねる。かつて反抗した父親と同じ道を辿る。
対して、この世の中はAIに対して様々な想いが渦巻いている。AIに未来を重ねるとき同胞である隣人の想いが重くなる。ネットでは不毛な罵り合いが続き、諦めた者は孤高を演じている。
過渡期とはいえ、AIのことを本気で考えている人が少ないのだろう。いや「考える」というよりは「学ぶ」ということか。たが何を学ぶべきなのか。そこでSF創作である。自分の未来を妄想している人は幾らでもいるだろう。だが、社会や地球人類の未来を妄想している人が意外と少ないのではないか?ニュースやエンタメに触れた際に生じる脊髄反射的な思考ぐらいでは妄想とは言えない。妄想は創作と言えるレベルと定義すれば解りやすいだろう。逆に言うとSF創作と呼ぶにはSF妄想の質量が必要ということだ。さらにSF創作によって何を成すのか?という目標があると「学ぶ」意義を見い出せるのだと思う。
【ハイクロ】の作中表現によって自分なりの具体的な意見を伝えられるだろうか。「AIと人類進化のプロジェクト」というスローガンに見合う構造。やりたいことが今更ながら見えてきたような気がする。
昨今の政情にポジティブ感が湧いてくると創作にも集中できる。少なくとも世を憂う時間が減れば創作に回す時間が増えることになる。危機感があったほうが創作意欲が向上する人もいるかもしれないが自分の場合は心に余裕がないと著しく進捗は低下する。多くのエンタメは闘争があり平静を取り戻す。特に他人を害する手段を彩るような恐怖と流血と痛みが前提となる物語は否定しないし、むしろ面白さを追究する上では肯定するけれど、知的欲求がくすぐられるような作品を作ってみたいものだ。そういう意味ではAIと人間との関わりには、地球人類を良き方向に導きうる、お宝が眠っているはずだ。この週末は「典型的であろうAIエンタメ」としてスルーしていた作品群を観ていたのだが、とても参考になった。典型的なものの中にある普遍的なアイデアは誰しもが理解しやすいものだ。ひねくれたストーリーを書きがちな自分ではあるが、ひねりすぎて的外れにならないように気を付けよう。自分には無理だと最初から選択肢に入れていないような剛速球を目指してみるのも悪くないかもしれない。
とまあ精神的に多少マシなってきたと言っても日本レベルの話。世界レベルのサプライズが欲しいよなぁ。
SF的蛇足とピュアストーリーの関係
2025年11月15日:AI事業のゲーム仕事でハイファンタジー系のお話を考えている。内容というよりシステム構造について試行錯誤しているのだが、これが純粋に面白い。日頃の小説創作ではジャンル問わずSF的ネタ&自分なりの見解をブチ込んでしまうので成果物はSFに染まってしまう。この仕事ではSF要素というか余計な要素は入れないほうが良いため、物語として純粋なものが求められてるという感じだ。創作に主張をブチ込むのは悪いことではない。しかし牧歌的とも言えるストーリーを考えてみるのも悪くない。本来の自分がやるなら歴史小説や時代小説ならば自然にそうなるかもしれないが、トールキンやロードス島戦記にはまってたことを思い出せばハイファンタジーでも出来ないことはないだろう。
芥川賞をとったAIを創作に利用したことが話題の小説『東京都同情塔』はあきらかにSFだし、今や文学の域おいてもSF要素を排除するのは意図的にやらないと難しいご時勢になっていると思う。地球人類が未来へ進んでいくために皆がSF脳になるのは個人的に喜ばしいのではあるが、物語作りの純粋という枠組みの中ではSF思考は蛇足なことをしがちなのも否めない。未来を語ることは必ずしもSFである必要はないし、タイムマシンが介在しない昔だってSF要素は見いだせる。ジャンルにSFの垣根は無いということだが、自創作にSFの芝生を敷いてしまうことによって確実に失っているものがあるという認識は忘れないようにしたい。特にSF設定に時間を費やしている【ハイクロ】では、そろそろ純粋なストーリー創りを意識して作業をしたほうが吉を見いだせそうではある。言い換えると文章を構築するにも色々あるってことかな。もともと【ハイクロ】は「主人公設定をして高校に入学するシーン」から書いて高校生活を書いてみたりしていた。今やその主人公(の1人)はずっと放置されているが、普通のシーンを書くことの効能について、よく咀嚼してみたい。頭でっかちにならないように注意だね。
↑AIにはボディが無いってところを語ってくれるのが凄く良い。AIの次の段階はボディを持つこと。【ハイクロ】では基本的にボディを持つAIを活躍させる。歴史的にも我々の歴史よりも早く成立させる。ただし今の我々のAI接触体験もお話にしたいと思っている。欲張りだけど自分の体験としてオモシロイのだから仕方が無い。【ハイクロ】初期からゴールドアイ(GOLD_EYEならぬGOLD_AI)という神的AIを設定しているが、最近は維武大八まわりのことを書く上でChatGODというAIサービスを登場させてみている。設定的にどのぐらいのポテンシャルがあるのか検討中ではあるがChatGPT等の次に来るものとして定義できると良いなと漠然と考えている。その上で、重要な主人公の一人である明智十志が、カスタムAIシステム「玉響(たまゆら)」サビース開始するのは2049年の予定だったが前倒しする必要があるかもしれない。秋葉愛(AKIBA_AIね)も昇華させないとな。21世紀になる前に、ボディ有り魂付きAIは実現しているというのがオーバーテクノロジー設定としては決まっているので、ヒーロー周りと一般社会の「書き分けと同調」を納得してもらいたいので、そこは自分の設定力と筆力次第ではあるのだが……遣り甲斐あるねぇ。
話を戻そう。ハイファンタジーのお話をAI生成させてのゲーム開発。それには、まずゲーム性としてのフレームワークが重要だ。仕事としてはゲームなのであるが、ゲームで物語を読ませてみたい!という目標を達成できるのであれば、小説創作にも転用できるだろう。道具レベルのAIを使うならば人間の使い方がクローズアップされる。効率を目指すならば単純に人間がリライトすれば良いということではないと思うのである。UIだったりペーパー本だったり文字が載る状態を意識することで新しい読ませ方を発見できる。活字を読者に伝えることは難しいからこそ取り組み価値はある。読書好き、ではない読者にとって、どんなフレームワークが必要なのか真っ向から考えるタイミングが来てたという感じである。アドベンチャーブック以来、漠然と思っていた読書という伝達の弱点を克服できるのか?AIが普及した今だからこそ検討する意義があるのだと思う。とても興味深い。
SF戦国と戦国SFの比較論法
2025年10月25日:少し前に仕事場の同僚と戦国武将の話をして楽しかった。すごく久しぶりだったので熱くなってしまった。これがまたマイナー武将を互いに知っていて好みが同じ方向ってのが素晴らしかったんだけどもね。もともと自分は戦国野郎だったのだが、その固執を手放してしまった原因はSF好きになったことによって歴史全般に興味が移ったのが決め手になったと思う。なかなか素の人間能力のままでは対象が広くなると濃さは維持できないよねぇ……色んなことを追究できるように早く進化したいな!
この二カ月ほどは通勤時間のSF読書を中断して歴史小説を読んでいたりする。とても新鮮であり自分が戦国時代が好きなことを再確認する。歴史小説とは広くは逸話や捏造、後世創作を含めてのものであり全てが真実とは言えない。しかしヒントが散りばめられた推理小説だと考えれば、非常に興味深いものである。小説を楽しむのと同時に、歴史の真相を楽しむことができる。ノンフィクションの推理は妄想力があれば迫力あるものとなり、作者の調査結果や考え方にも触れて、自分の推理と比較することもできる。つまり多層的に楽しめるのである。

特に滝口康彦先生や赤木駿介先生の作品が好きでなあ。ほんと素晴らしい。時代小説の領域に被ってくるが隆慶一郎先生や藤沢周平先生の作品も読みたくなってきたよ。この楽しみって全然わからない人がいるのも仕方ないことなんだけど、面白いだけではなくて文学的にも素晴らしいんだよね。歴史への好奇心と共に日本語の妙を堪能することができるのも素敵なんだよね。歴史小説⇔時代小説⇔文学小説の行ったり来たりは今までの読書人生では普通にあった。これからはSF小説⇔歴史小説⇔時代小説⇔文学小説を意識してみようかな。
歴史でSFといえば普通はタイムスリップものを想像するだろう。【ハイクロ】では前からタイムスリップものは否定しているので、違ったアプローチを行っている。最近になっての設定カゼインによって『時間』という概念自体は、人間という生物が宇宙の法則を理解するために作り出したもの、という感じに採用することにしたのであるが、この考え方はオリジナルではないしトレンドのようだ。だが、それに気付くまで自分が『時間』という当たり前に縛られていたことを理解した。SFのステップアップは気付きが全てであると言っても過言ではないと肌で感じることができた出来事だった。一見。科学っぽくSFっぽいことであってもアイデアの飛躍を抑制しているということだ。よくよく注意したい。
SFの本質は、宇宙や未来を描くことにあるのではなく、人間の理解そのものを拡張することにあるのだろう。時間を知覚の構造として捉えるテッド・チャン的思考(映画メッセージ原作「あなたの人生の物語」は詩的でもある)と、理屈によって宇宙法則を再設計するラリイ・ニーヴン的感性(今だからこそ読みたいノウンスペース・シリーズ!)。一見、異なる方向を向いているようでいて、実際には「世界とは意識の投影である」という一点で深く交わっている。SFとは、科学を題材にした物語ではなく、哲学を体験するための装置だと言える。担い手として、外の宇宙を観測するのではなく、内側の宇宙を発見するための思考実験を繰り返す。その過程で訪れる気付きこそが、認識の構造を変えて新たな世界観を生み出していく。それこそがSFを楽しむ価値であり、SFを創る醍醐味だと思うのだ。
【ハイクロ】にはマニアックな戦国武将も登場するというか、かなりコアな役回りをさせているのだが、当初は無理矢理にくっつけた感が否めなかった。だが最近の時間に関する検討において、ちょっとした考え方の採用でしっくりきてしまった。SF創作をしていてゾクゾクする瞬間である。アイデア自体は古くからあったものかもしれない。だが、自分の方向性としっくりする感覚が自然と湧き上あがることが重要なのだと思う。基本的に理屈でSF設定を詰めている時間が長いので、パズルのピースが「はまる」ような歓喜が、もっと多くなるような取り組み方をしていくべきなのだろう。もっと頭を柔らかくする努力しないとなぁ。
