伊勢日向がSFについて妄想するサイトにようこそ。自分なりのSF創作しながら、SFを盛り上げる活動をしたいと考えてる。特に日本のSFはなんでか昔から今一普及しないので、その楽しさと未来を切り開く可能性を享受してくれる人が増えるために微力ながら貢献したい。
自己紹介
今までの人生で影響を受けてきた綺羅星の如きSF作品群のいかした内容を引用しつつ、いかにSF野郎として成長したか自己分析していくよ。以下、激しくネタばれ注意!
◆ウェーブ-1
サイバーパンクの代名詞ともなっている映画『ブレードランナー』を初めて観たのは何歳のことだったろう。TVで観たはずだから1982年7月10日の日本公開から何年か後。中学生ぐらいかな。
陰鬱に重く、のしかかるような夜空に雑然とした街のネオン光がにじむ劇中2019年11月のロサンゼルス。脱走レプリカント-ネクサス6のリーダー、ロイ・バッティの哀しくて美しくてカッコいい言葉に魅了された。
おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。
オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。
タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、
そんな思い出も時間と共にやがて消える。
雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。
エンタメを醒めて見ている生意気なガキだった僕は
オリオン座の近くってどういうこと?
タンホイザー・ゲートについて詳しく!
と、色々と突っ込みたくなりつつ、ロイ・バッティの過酷な人生(そう!まさしく人生である)に打ち震え、そして大宇宙を垣間見たのだった。未来化に失敗したようなスラムちっくで残念感が漂う地球上のストーリーなのに、デッカードがロイ・バッディの死を見届けた、その時──
遠く離れた宇宙のいたるところで、
この哀しい出来事と同時に何かが起こっているのだな
と、鮮明にイメージできた。その高波が、僕のSFマインドの素地を形成したんだと思う。
◆ウェーブ-2
SFには小学生の頃に星新一作品で何気なく触れ、ハヤカワや創元のSF小説も何冊か読んでいたが、ブレードランナーに嵌まるまでは特にSFというジャンル自体を意識はしていなかった。そもそもがSFへの反応が鈍かったのである。好きではあるけど興味が無かったのかなあ。
・宇宙戦艦ヤマトでワープやアステロイドリングを見てもカッコイイと思うだけ。
・SFネタの宝庫、寺沢武一『コブラ』を愛読し妄想が渦向いていても、具体的なアイデアにならない。
・機動戦士ガンダムでミノフスキー粒子やニュータイプに触れても設定を面白がるだけ。
・超時空要塞マクロスでデカルチャーしてもヒントを得ようとするモチベが高まらない。
・超時空世紀オーガスで軌道エレベーターというシンプルな発想に驚愕しても追究しない。
残念ながら当時の僕は興味あるジャンルとしてSFは突出していなかったようである。
そんな僕がSFを意識して初めて手に取ったSF小説はブレードランナー原作のフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ではなく、アイザック・アシモフ『われはロボット』だったはず。銀河鉄道999を見て機械の体はとてつもなく欲しくなった(機械伯爵かっこいーって思ってたからかもw)。一つのネジになるという怖いドンデン返しも、極めて、しっくり受け入れた。今考えるとハイブマインド的なアイデアへの憧れはこれが初めてだったのかもしれない。平井和正『アンドロイドお雪』で生活リアリティのある妄想が膨張した。それは、ブレードランナーの世界とも、よく馴染んだが、ウィリアム・ギブスン『スプロールシリーズ』でサイバーパンクのブームは一気に高騰し、SFへの興味はコンパクト化され、そして停滞した。お腹いっぱいになってしまったのあろう。
そんな状態になってから遅れて観たSF映画の双璧の片方、アーサー・C・クラーク原作の映画『2001年宇宙の旅』にも見事に嵌まることなく、SFジャンルは興味対象としての優先度が下がってしまったのは確実だった。が、ストーリー志向の僕にとって役立つSF要素はどんなものにも含まれていて、特に江戸川乱歩と澁澤龍彦に傾倒していく中で未来世界のイメージが少しずつ積もっていった。
その間、永野護『ファイブスター物語』のファティマに萌えつつ、
数々の映像作品に登場するロボット、アンドロイドといったAI存在たちに恋をした。
そして、ウェーブ-1でレプリカント熱に侵されていた僕のSFの裾野が広がったのはBPSの宇宙シミュレーションゲーム『フロンティア・ユニバース』だった。1秒1年のタイムスケール。100年に1度開催される、銀河盟主連合コミュニティ・ユニバース────それをデイヴィッド・ブリン『知性化シリーズ』が補完する。『スタートレックTNG』のQとボーグに大宇宙を垣間見る。
宇宙……そこは最後のフロンティア
カークのTOS時代から当たり前で極端に言うと陳腐とさえ思っていたフレーズに、深いイメージを感じて具体的な可能性を考察できるようになっている自分に気付く。
SF……そこは最後のフロンティア
かくして、連なり押し寄せる銀河連盟妄想の到来。それにAI存在への興味が重なり、未来妄想図が構築されていく。僕のSFマインドの成長だ。どこかの誰かが創造してくれた様々な味わいのSF系エンタメを堪能してる妄想少年の混沌期。ウェーブ-1のずっと前から、さざ波のように寄せていたのがウェーブ-2と言えるだろう。
◆ウェーブ-3
たまたま立ち寄った本屋でロバート・J・ ソウヤー『ターミナル・エクスペリメント』を意識して選択できたのは、過去に手塚治『火の鳥』を繰り返し読んでいたことも理由の一つになるだろう。
正直、肝心要の火の鳥設定周辺の、宇宙やら、生命やら、魂やら、そのへんのことは「ふ~ん、そんな感じなのね」という具合によくも考えずにフワーっとした理解程度で適当に流していた。うん。微塵も理解していたとは言えないな。魂に興味が無かったということではない。むしろ魂を論じている作品は好きである。だが、科学・SFと魂を結びつけて考えることがスキル的に足りていなかった。結びつける発想自体が選択肢に無かったと言ってもよい。要するに閃かないということだ。それをターミナル・エクペリメントというSF小説が結びつけてくれた。この作品中の魂の定義に納得したわけではなく、魂をSF的に或いは科学的に考える機会を与えてくれたのである。それが転機になった。
ロビィ
ロビタ
ロイ・バッティ
そこに魂はあったのか?
そもそも人間に魂は宿っているのか?
Ego cogito, ergo sum, sive existo
我思う、ゆえに我あり
深淵なるデカルトの言葉を思い起こし、大宇宙を垣間見る。可能性を考えることは、心構えが大切だということ。なんでもありの境地に立つことは、簡単じゃないということ。魂について考えることは、それらの一例に過ぎないということ。SFフロンティアは、さらに広く深く大きくなっていく。僕のSFマインドは自由になった。
プロジェクト・エーテル
SFマインドでは、プロジェクト・エーテルの活動状況の掲示をしていくよ。プロジェクト・エーテルは、日本においてファンタジージャンルに比べて今一な状況にあるサイエンスやSFを盛り上げたいと、志は一応高いが少々マニアックな気持ちで立ち上げたプロジェクト。エーテル(ether)は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが提唱した、地水火風の四大元素説を拡張した第五元素です。インドの五大説の一つアーカーシャにも通じ、宮本武蔵の五輪書でいうところの【空】にあたる。常識にとらわれず積極的にSFフロンティアを突き進む意志を込めてたりする。
Twitterで銀河連盟設定をベースにしたファースト・コンタクトものを即興的にツイート、科学的見地で拡張する形で創作したものがベースになっています。それが、ああだこうだとアイデアを練っているうちに、AIと人類進化についての興味が深まり、我々地球人類の未来を妄想してみるエンターテインメント作品を目指すことに。その名も、ハイブマインド・クロニクル。大宇宙の広範な時間と空間を扱う年代記を目指して世界を構築していきます。
お問合せ
SFに関することについては何か良いアイデアを提供できるかも。最近やっと日本のビジネスシーンにおいてもSFを読むべきという意見がよく見られる。SF好きにとっても良い状況になってきた。SF創作から得たアイデアで社会に貢献するのは目標の一つだったりするので、積極的に関わっていきたい。