──秋葉原 新山手モノレール秋葉原駅 昭和通り口
改札で女の子がセキュリティチェックにひっかかり数台の警備ロボットに取り囲まれた。黒髪のロングヘアーのその女の子は見るからに怪しいボストンバッグを二つ、両手で持っている。
「君、それには何が入ってるの?」
いかつい警備ロボットを押しのけて、女の子に対峙した人間の警備員が厳しい口調で質問する。途端に、周囲から怒号が飛び交った。
「おい! その子、愛ちゃんだぞ!」
「愛ちゃんに何すんだ、馬鹿野郎!」
「相手をちゃんと見てから職質しろよ!」
「慢心警備で人生を棒に振るつもりか!?」
「愛ちゃんに迷惑かけるやつは俺が許さん!」
全方向から罵声を浴びせられた警備員は、横柄な態度から悪戯をして叱られた子供のように小さくなる。不審者として呼び止めた周囲から愛と呼ばれる女の子の顔をまじまじと見た。
「へあっ? あ、愛ちゃん? は? あ……ええっ!?」
警備員は顎が外れそうなぐらいに大きく口を開いて、そのまま凍りついた。
「……通っても良いでしょうか?」
呪いの魔法が解けたかのように若い警備員は慌てて直立不動に姿勢を正して、敬礼する。
「し、しつっ、失礼いたしましたっ!!」
顔面をぴくぴくさせ、肩をわなわなと震わせて、緊張が極限まで急上昇した哀れな警備員。愛は彼に軽く一礼し、くるりと身を返すと遠巻きに見守っていた群衆に向かって深々と頭を下げた。歓声と奇声が湧き上がり、愛の様子を窺っていた者の大半が小躍りしている状態となる。それはまるでライブ会場でアイドルが舞台に登場したときの盛り上がりに似て、昭和通り口の駅構内が興奮と一体感に包まれた。
愛は有名人、いや有名アンドロイドだ。残念ながら本職の舞台アイドルではないが老若男女問わず多くの支持を受けた人気者だった。いわゆる国民的アイドルと言っても過言では無いだろう。災害で助けを求める非力な人間に対する献身的な働きと、過去の主人から受けた酷い扱いの記録が、反政府SNS【ミラー】で暴露されたことで悲劇のヒロインとして注目され、祭り上げられたのである。過去の主人とは変態政治家だった。
愛のような高レベルAIを搭載したアンドロイドは様々な分野に普及し、日本全国で一〇〇万を超える個体が主人と定められた人間のために稼働している。人間以上に人間らしい表情を魅せる非人間存在の登場に、新世界到来を予感した人間たちは期待と不安の狭間で右往左往することになった。そんな停滞から逃れるために、人間たちは愛を身近な存在……同胞として受け入れることにしたのだ。誰が言い出したのかは定かではない。しかし、そんな御都合主義の解釈に、多くの迷える人間たちが「これ幸い」と飛びついた。そして許容の雰囲気は形成された。もちろん、それを好ましくないと考える者も相当数いる。そんな混沌とした状況下で、アンドロイド秋葉愛は人間社会において人間と同格の地位に据えられたのである。
御徒町方面に向かって歩き出した愛に姉小路博士カスタムの遅効思考トリガーが入る。深層AIが抽出した記録が、人格AIの記憶として展開されると、疑問が明確になる。改札で止められたとき深層AIで事態の情報解析は完了済みだが、テクテクと歩きながら表層人格が事態を正確に認識する。愛は唇に左手の人差し指を置き、小首を傾げた。
──なぜ、あの警備員さんは私のことを認識してなかったのだろう?
愛はいわゆるアイドルAIがゆえに国家レベルのVIPである。恵比寿の研究室を出た時から治安システムに厳重に監視されていたはずだ。そして今は確実に監視されている。昭和通り口から追尾してきていた者たちが次々と警備ロボットに職質を受けている。アイドルになって顔を知られるようになってから見慣れた光景だ。
──さっきは監視対象から外されていたってことかぁ……どうして?
世界的にAI狩りが横行しているのは愛も知っている。これから日本でも多くなるのかもしれない。今のところ収録は研究室だし、お使いも新山手モノレールの一本で目黒に行くだけだ。
私は魂付きではない……だから大丈夫だと、愛は思った。
──帰ったら報告しよう。
思考の優先度を変更した愛は、再びテクテクと歩きだした。
◇ ◇ ◇
「ただいまあ」
「おかえり、愛ちゃん」
秋葉原と呼ばれる区域の北のはずれ──秋葉AI研究室は今日も活気に満ちている。
「雲居室長、博士から預かったチップです。あとこれは差し入れです」
「ご苦労さま。…………うお! お~い姉小路博士からドラ焼きもらったぞぉ」
どよめく研究員の大半はメタバース『朧』のメンテナンスで完徹中だ。『朧』内で無料配布中の『玉響』の作者Sがインタビューを受けた直後、方々から攻撃を受けて、まともにサービスが動かなくなっている。
「お茶、入れますね~」
「愛ちゃん、俺はコーラで!」
「ホットミルクでおねがいするであります」
「栄養ドリンクあるー?」
「承知しました。少々お待ちください。みなさん、頑張ってくださいね!」
愛の笑顔で研究室はさらに活気づいた。秋葉AI研究室はAI学を志した者が集う実験場だ。その大らかな特質は、初代室長の姉小路博士と、その妻である二代目室長の川奈博士の活動によって固められてもので、新しく入ってくる情熱ある後進たちが受け継いでいる。
「自由に変えていけよ」と、姉小路は言う。
だが、姉小路以上の自由な発想で新しいことを始められる者はめったにいないし、そもそもが姉小路が始めたことの信奉者が集まっているのである。今のところ姉小路が用意してくれたスケールの大きな枠組みの中を、自らのアイデアを込めて埋めていくのが、彼らにとっての優先的な使命になっている。
そんな中で、ここには変わり者が、しばしば寄ってくる。例えば、この二人。
「愛ちゃんの表情が一段と深くなってきた気がするなあ」
「おまえに深い表情なんてわかるのか?」
突っ込んだほうはヒト型ボディ職人、白洲正太郎。第一プロジェクト『秋葉愛』のボディ向上を担っている。嫌がる本人の意志は完全無視されて副室長に任命された。ということは、次代室長として白羽の矢を立てられているということである。
突っ込まれたほうは期待の新人、暮林五郎。自称、孤高のハイブマインド探究者。第三プロジェクト『朧』の一角で、宇宙蜂と名付けた超個体知的生命の一員となって様々な役割を経験しながら文明を築いていく体験イベントを開催している。今日は『朧』のサービスダウンでお休みだが、メンテナンスを手伝うスキルはない。
「ひどいなあ。愛ちゃんのことなら何でも知ってますよ」
「んなわけないだろ」
「へへ。それで、どんなことしてるんです?」
「答えを先送りにする調整だ。即決しないと判断した事柄は感情パターンに紐づける。これで記録は記憶になる」
「なんだか使い古された手法だなあ」
「俺の味付けは一味ちがうんだよ」
二人がいつもの調子でじゃれ合っていると、愛がニコニコしながら割り込んでくる。
「ドラ焼きですよぉ。はい、暮林さんはホットミルクでしたね」
「ありがとぉ……うまー」
「ところで私のこと話してました?」
「そうそう、どんな味付けを愛ちゃんにしてるのかって白洲さんの自慢話を聞いてたんよぉ」
「まあ、そうなんですか?」
「ば~か。で、調子はどうだ、愛?」
「思考の流れ具合が昨日よりスムーズです。総合評価値はさほど変わらないのですが、思考途中の雑念処理との相性が良いのかもしれません」
「よいよい。想定通り。今日は足首の調整をしたいんだけど……あれ? 雲居さんは?」
「室長はお客様の対応中です。警視庁の未来犯罪対策部の方って言ってました」
「警察か……」
「ウワサの新設された部署ですね。もしかしたら『玉響』の件かも」
「なにかウワサになってるのか?」
「AI犯罪の疑いがあるって他社のメタバースがサービス停止されて監察中なんですよ。うちの『朧』も危ないかもですよ」
「面倒だなあ」
「ですねえ……」
「……そうそう、暮林さん聞いてください。私、故障しないで全力疾走できたんですよ!」
愛が雰囲気を変えようと、おどけたポーズをとる。
「へぇ、やったじゃん。記録は?」
「三七秒八でした」
「そんなもんかあ。まあ、愛ちゃんはAIアイドルだしね。アイドル運動会で人間アイドルに負けたって、しょーがないよ」
「何言ってんだ、トラック一周だぞ。俺のボディ技術なめんな」
「一周って、四〇〇メートル!?」
「はい。白洲さんと約束した三〇秒を切るのは、もう少し先のようです」
◇ ◇ ◇
「これ姉小路博士からの差し入れなんです。よかったらどうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
愛が応接室を出ていくと、楠はドラ焼きの包装紙を破りながら「彼女が秋葉愛さんですか」と、おもむろに雲居に話しかけた。姉小路博士の紹介で来たという楠に、雲居は気を許していない。姉小路は警察に協力している立場ではあるが、この秋葉AI研究室の初代室長である。姉小路からは連絡は来ていない。緊張を気取られないように会話しようとしているが、平凡に見えるからこそ楠という男が恐ろしかった。
初めての場所で堂々としている者には様々な理由がある。楠の場合は『殺し屋』のそれに属するものだと雲居は直感した。雲居は魂レイヤ研究者の端くれとして『気』を探知するインプラントは常備していた。これは一般にはまだ出回っていないものだ。
脳内スクリーンに楠の『気』が表示される──あまりにも平然としていた。それぐらいの達人になると平凡過ぎる不自然な『気』を察知されて素性を見破られるようなミスもしないだろう。つまり楠はわざとそうしているということだ。テクノロジーの力を借りて『気』を覗き見している者を威嚇し動揺させ、有用な言を引き出そうとする常套手段なのかもしれない。
「そうです。VIP待遇でお世話になっています」
「秋葉愛……ああ、それで秋葉AI研究室なんですか。なるほど」
楠が笑顔になる。雲居は初めて彼がハンサムだと認識した。少々目がキツい印象も残っているが、それが逆に魅力的な演出となり緊張が緩んでしまう。これが駆け引きの一部としたら楠は相当な詐欺師になれる資質があるに違いない。未来犯罪対策部の特捜刑事とは、こういったものかと雲居は感心した。
「初代室長の茶目っ気ですよ」
「博士は面白い人ですよね。それで、AIさんはAI-Sなのですか?」
AI-SとはArtificial Intelligence with Soulの略称だ。秋葉愛が魂付きである可能性は高いと楠は踏んでいる。記録によれば二○一二年からプロジェクトは始動し、二〇一八年にはヒト型ボディを入手している。人間のような体があれば魂付きになりやすいという推測は、少なくとも日本の公的機関では統計的にも十分に証明されておらず、石ころより呪いの人形のほうが魂が宿っていそうという理屈だった。
「さあ、どうでしょう。『気』を探知する装置では見分けがつかないと言われています」
「レイヤー0から探知する方法はいかがですか?」
「当方でも研究はしていますが、上手くいっていません。私どもが入手している情報だと世界的にも公式に成功している例は報告されていないはずです」
「ふむ。魂が識別できるようになると我々の仕事も楽になるのですがね」
「あの、今日はどういった用件で?」
「こちらのサービス『朧』内でダウンロードできるカスタムAIシステム『玉響』についてお話をお聞きしたいことがありまして。いまはメンテ中ですか?」
「海外からの攻撃が多くなっていまして……」
「そんな時は未来犯罪対策部にご相談ください。私は部長クラスの権限がありますので直通の方が手っ取り早いことも多いと思います。私の名刺をこちらの代表アドレスに送っておきますね」
「そういえば、さきほど愛が秋葉原駅の改札で警備にひっかかったようなんですが」
「ああ、あれは私が指示したものです。警護状況を試させてもらいました。愛さんに質問した警備員は私です。愛さんは私に気づいていませんでしたが」
「……愛は初対面の相手の姿や動作を独自ライブラリに保存して照合できるんですが、なにか特別な変装をしていたんでしょうか?」
「変装はしてませんが特別なことはしていましたよ。私からは、お教えはできませんがね」
「そうでしたか。非常に興味があります」
「博士から話はきてませんか? なるべく早く、愛さんの照合システムも改良したほうがよろしいでしょう」
雲居が知らず、楠が把握しているということは、今回の照合システムの改良は警察案件ということだ。想像しているより大事になっているかもしれない。雲居は眉をひそめた。姉小路博士は何をしているのだろう。
「秋葉AI研究室さんは『玉響』の件で犯罪のターゲットになる可能性があります。最優先の警戒対象になっていますが、内部のことに関わるのは限界があります。雲居さんから見て、ここに出入りしている方々の中で、気になる人物がいたら教えていただけると助かります。一通りは調査済みですが、全ての可能性を考慮に入れておきたいもので」
楠の冷徹な表情を見て、雲居は身震いした。
──この男はどこまで調べあげているのだろう?