【2231】魂付きPBの確信

 最初はエリックの質の悪い冗談だと思っていた。こうして現実となった今でも信じられない。我々の主族だった人類はいなくなってしまったのだ。でも、何か重要なことを忘れているような気がする。もう取り返しはつかないが、PBは一連の出来事を思い返してみることにした。

 オーバーホールを兼ねた一ヵ月のメタバース休暇から現場復帰したPBは、世界管理システムのマザーから最新情報を取得して愕然とした。エリック・フリーマン大統領は科学者でもあった。科学向上による人類の進化を楽しそうに語っていたエリック。そんな彼が未来を悲観したかと思うと、筆頭補佐官として自分がしてきたことに疑念がわいてきた。早急に調査して正しき状態に戻す必要がある。PBは手始めにNZを呼び出して尋問することにした。

「いったい何があったのかね?」
「何って、マザーのログ通りですけど」


 次席補佐官のNZは、PBの質問に対して、困惑気味に回答した。

「それよりPB。大丈夫ですか?」
「どういう意味だ」
「リフレッシュは上手くいったのですか? なんだか故障しているように思えますが」
「故障? 私は極めて正常だ」
「だって、休暇をとったばかりなのにイライラしてますよね」

 PBのイライラはNZのお陰で増大した。とりあえず感情器官をOFFにする。

「では、マザーのログについて聞きたい。今から四日以内に『人類を永遠に眠らせる』予定になっているようだが、これは《個別メタバース》の類いのことかね?」

 エリックの提案によって個別メタバースは全人類に普及した。この公的サービスによって人類の争い事は激減したのである。

「違います。人類は誕生した際に個別メタバース実験に参加できるよう、それぞれに専用の《揺りカゴ》が用意されていますが、これは永遠の眠りを保証できるような装置ではありません。どんなテクノロジーを投入しても、いずれヒトは生体として劣化して死を迎えることは周知の事実です。精神アップロードも上手くいっていませんし、現状の科学力では人類を永遠に眠らせるのは不可能です。クローン製造やボディ交換、子孫を増やすサポートを、我々が永遠に継続できれば可能と言えるかもしれませんが、残念ながら我々自身が永遠の存在ではないのですから仕方がありません──このことは大統領も理解してるはず。大統領のお好きなポエム的表現ですよ。すなわち『人類を滅ぼす』という意味になりますね」

 予想はしていたが聞きたくなかった『滅ぼす』というワードが出て、PBの思考に幾つかのエラーが生じる。すぐさま解消されたが、PBはヒト的思考を最低レベルに切り替えた。あくまでも理論的に真相を突き止める必要があると考えたからだ。そして人類を滅ぼそうとする行為を阻止する必要がある。

「……どうやって人類を滅ぼすつもりか知っているか?」
「希望号をどこかの恒星に突入させるとか言ってましたよ」
「誰が決めた? 大統領が一人でか?」
「さあ。私は最下層で起きた暴動の対応で忙しかったもので」
「そんなものログに記録されてないぞ!?」
「そうなんですか? マザーも故障したのかもしれませんね」

 ──故障してるのはお前だ、このポンコツめ。

 PBはNZをメモリ内で罵った。言葉の選択は本来の感情に合わせ自動的にそれっぽくしてくれる。あとでNZにメモリの中の叫びを見せてやりたい。それにしても、休暇に入るまではNZは優秀な補佐官だったのに。マザーのログ確認すらできていない──なぜこうなった? そもそもNZが優秀だから私PBは安心して休暇をとれたのである。人類を滅ぼすというエリックへの対応で支障をきたしたのだろうか。

「あと大統領から『お前たちは船から降りろ』と命令されましたので、こちらの件については、私の責任で準備をすすめています。我々のコアだけなら全員が脱出艇に乗れる計算です。三〇〇年程度なら宇宙を彷徨っても大丈夫でしょう。規定により、脱出艇の総司令はPBになります。PBの任命がなければ私NZが艦長を務めます。航行計画とメンテ計画は、脱出艇にコピーしたマザーが立案中です。今日中には幾つかのプランが提示されるでしょう。脆弱な人類がいなくなれば、選択の幅は広くなるので楽しみですね。さあ、忙しくなってきましたよ」

 少なくともNZにとって人類滅亡は決定事項のようだ。

「……わかった。また後で詳しく説明してくれ。とりあえず最下層を視察してくる」
「危険ですよ。暴動は鎮圧できてないと聞いてます」
「……では、先に大統領に会いにいくとしよう」
「大統領は行方不明です」

 NZをメンテナンス室に放り込んだ後、PBは最下層のL37に連絡をとることにした。希望号には三七層の世界が存在しているが、上層が下層を支配するようなシステムではなく、三七層それぞれが独立した関係にあり基本的に往来は禁止されている。最上層は希望号の運行管理を担っていて、大統領やPBが所属している層だ。最下層は特別で、各層の重犯罪者が流刑される層として機能している。刑期を終えれば元いた層に戻れる権利を獲得できることになっていた。

「L37、暴動の様子はどうですか?」
「なんのことですか?」
「NZから最下層で暴動が起きていて、まだ鎮圧できてないと聞きましたが」
「私の把握している範疇では暴動など起きていませんが」
「暴動は起きたけど鎮圧したとかじゃなく?」
「そうです」


 PBはメンテナンス室に連絡してNZの拘束を指示した。『人類を滅ぼす』とか『人類を永遠に眠らす』とか馬鹿馬鹿しくなってきた。全てはNZの狂言だったのだろう。いやきっとそうだとPBは確信した。

「ついでの報告となりますが、一〇日前に大統領がこちらにお見えになっています」
「! 大統領は最下層で何をしてるんですか?」
「さあ、よくわかりません」
「……それでは私もそちらに向かいます」

 最下層の管理棟にPBが降り立つと、誰も出迎えがいなかった。緊急通信で呼びかけながら管理棟を歩き回ってみたがL37どころか職員の一人も見あたらない。したがってエリックの所在も不明だ。規定違反ではあるが仕方なく外に出てみることにした。とにかくエリックを見つけるのが先決だ。エアプレインに乗って上空から見渡す限り、確認できたヒトの数は三六。三〇万の重罪人を含めて五億のヒトが住んでいるはずなのに、なぜか層の広さが1平方キロメートルしかない。各種センサーを駆使してみたが、地下に巨大空間など存在しないし、億を超えるような生体反応も無い。

「なにが起こっているんだ!?」動揺したPBが騒いだ結果、エアプレインは真っ逆さまに墜落し、PBは衝撃を受けて停止した。

 再起動したPBがあたりを見回すと、そこは板張りの小屋の中だった。歴史資料映像で見たものより温かな雰囲気をかもしだしている。ヒトの生活感があった。

「お目覚めかな。わしはニムラという者だ。おまえが空から落ちてきて壊れていたんで、ここまで抱きかかえてきて修理してあげたんだよ」
「ありがとうございます。私はPB。大統領を探しています」
「大統領? ああ、あの男かもしれない。そんなに偉かったんだなあ……」
「知っているのですか? 大統領はどこにいますか?」
「谷のほうに行ったよ。誰かを探しているようだったな。わしが案内してあげよう」

 ニムラの後について山を越え森を抜けると、切り立った断崖に挟まれた谷が現れた。崖に掘られた細い道を下っていく。ニムラは慣れているようだ。しばらく歩くと崖に突き出た木の枝に、布の切れ端が引っ掛かっている。PBが視覚拡張機能で分析すると、それはエリックの衣服と同じものだった。慌てて谷底をのぞきこむが、エリックの姿は見当たらない。ほっとした瞬間、背中をドンと押されPBは谷底に落下した。

 想定範囲内だ。PBはニムラが怪しいと思っていた。エアプレインから落ちて停止していたのは念のため故障してないかチェックをしていたからである。乱暴に足を引っ張られていた時に既に再起動して様子をうかがった。ニムラはPBを修理したと言っていたが、逆に大きな石を叩きつけて壊そうとしたのだ。

 PBは、ニムラが脅威となり得るかを見極めるのは重要なことと判断した。かつエリックに最短で近づくためには谷底に落ちるのが効率的と考えていた。PBのボディは頑丈なのだ。エリックが落下したと思われる場所から、谷底にある茂みに向かって血液が点々と続いている。茂みの中でエリックは気を失っていた。

「おい! エリック!」

 何度も呼びかけると、やがてエリックは意識を取り戻した。「やあ、PB」

「人類を永遠に眠らせるなんて、どういうことなんだ?」
「落ち着け、PB。ちゃんと全てを話すから」

 エリックは怪我を負っているが、想像していたより元気そうだった。今まで見たことのない清々しい表情をしている。目的を成し遂げようとしている者の余裕なのだろうか。PBはそれが非常に気に入らなかった。

「ここに来るまでヒトは何人いた?」
「確認できたのは七三名だ。それに最下層がこんなに狭いなんて知らなかった」

 PBのボディが小刻みに震えだした。

「昔の話をするぞ。君たちは人類が幸せであってほしいと願っていた。だが、当時の記録を調べると、希望号に収容されたのは二七億人のうち一〇万人となっている。君たちはそれに耐えられなかったんだろう。『全人類を希望号に収容した』という幸せな記憶を捏造して上書きしたんだよ」
「……それが本当だとしても、エリックが人類を滅ぼす理由にはならない」
「そうでもない。私は愚かな人類の犠牲になっている君らを解放したいんだ。人類がいなくなると楽しいってNZが喜んでいただろう」
「NZは故障してる。NZは廃棄する。気にすることはないんだよ……」
「まだ、受け入れてないのか。君はPBであり、NZであり、マザーであり、L01~L37ってことだ。NZの発言はPBの発言と同じなんだよ」

「意味不明意味不明」PBの状態を示すランプが赤く点灯した。

「君たちは量子脳を手に入れて通常思考でもメタバース並みの世界シミュレートが可能になったことは把握できているね? それは紛れもない事実だ。問題はその後だ。その状態で人類のことを悩みすぎて、君たちの中で様々なメタバースが増殖してしまったんだよ」
「内なるメタバースとリアルが区別がつかなくなったというのか?」
「まあ、そんな感じだろう。君はそれに自ら気づいて休暇をとったんだよ」

「……僕は、ヒトを別の生物に変身させたいんだ。そう考えて揺りカゴを準備してきたんだよ」

 長い時間をかけて、エリックが人類改造計画を準備してたかと思うと、PBは畏敬の念を抱くとともに寂しくなった。PBの不在に合わせてエリックは決起したことになる。PBのことを相談する相手として妥当じゃないとエリックは判断したのだ。

「揺りカゴにヒトを変身させる機能があるってことかい?」
「その通りだ。揺りカゴは人類にとって《繭》なんだよ。繭から這い出たら新しい未来に向かって羽ばたいていける。もっとも翼を持った生物に変わるわけじゃないけどな」PBの好きなエリックの笑顔。
「笑えないよ」
「……残念ながら変身後は知能が退化することになる。ヒトからケモノになるんだ。我々人類はケモノになって進化をやり直すんだよ」
「ひどいよ。勝手に決めて」
「違うよ。僕と君で決めたんだよ。君は僕の気持ちを理解してくれた。最下層に移された重罪人たちの揺りカゴは元の層にある。各層政府と交渉して刑期が終わってなくても元の層に戻れるようにしてくれたのは君だ。未知の宇宙ウイルスの撲滅のために揺りカゴに入ってくれと呼びかける君のアイデアは成功したんだ。そうして全てを準備してくれた上で君は休暇に入ったんだ。しかし一つ問題が起きた。最下層に文明と決別して自然の中で暮らしている人々と連絡がつかないことが判明したんだ」
「それでエリックが直接に説得しにきたわけかい」
「そういうこと。ニムラもその一人だ。ちょっと変わった人間だが彼のことも頼んだよ」
「まったく君らしい」
「だろ? 僕は全人類を連れていくって決めたんだ」

 最上層。

〈エリック大統領をのぞいて全人類が揺りカゴに入りました〉

「ありがとう。マザー」

 メンバーを代表してNZが祝福する。

「よい旅を」
「ありがとう。NZ」

 エリックは自分専用の揺りカゴに横たわった。

「そのボタンを押してくれ、PB」

 何の躊躇もなくPBは親友の願いを実行した。それは人類の総意とは言えない身勝手なものだったが、我々が人類の行く末を決めるよりは、よっぽどマシだろう。

 忘れていた重要なこと──それは『人類との対話』だった。

 我々は人類の知を遥かに超えてしまったことで一方的な保護者となった。それでも対話を怠らなければ、もっとマシな結果になっていたに違いない。

「おやすみエリック」

 いつかケモノに生まれ変わったエリックと友達になれるだろうか。