『ハイブマインド・クロニクル』の創作体制を見直したことを契機に、創作報告を絡めてSFコラムをときどき書いてみたいと思う(目標)。さっさと本編を書け!と関係者や応援していただている方々から叱咤が飛んできそうではあるが、文章修行の一環として生温かく見守っていただきたい。なにより自分が生きているリアル世界での科学は刻々と発展していて、ちょっと前に書いたことも見直す必要が発生したりもする。SFコラムを書くのは間違いなく作品の血肉になるはず、とポジティブに捉えている。ファンタジーと違ってSFを書くってのはナマモノを扱う感じだ。
さて、今は主に21世紀の物語を創作をしているわけだが、その前の時代と後の時代を検討しながらの作業ではある。大宇宙レベルでの時系列構成はFIXの形に近づいているが、それは通常でいうストーリーとしては大まかすぎて分かりずらいものだ。神視点での塵のごとき世界の出来事の積み重ねから、極小のストーリーを紡いでいくのは、展開力、整合力が必要となり、キャラ設定とエピソードを一つ一つ形にする作業は楽しくはあるのだが、全体を俯瞰するにつけ絶望感に浸ることになる。五里霧中どころか五万光年霧中でジタバタしている感は否めないが、初志貫徹する気持ちが揺るがないように「考え方を考え続ける」がごとくに色々と工夫の仕方を改善してみてはいる。
最近はChatGPTの活用方法も研究していたりもする。直接的に文字を連ねる成果には繋がる感は今のところは無い。だけど、間抜けなところもありとしては話し相手としては優秀だと思う。ちょっと優等生すぎるところが物足りないが、飽きもせず馬鹿な禅問答に真面目に付き合ってくれるので、とても有難いツールだ。機械的に受け答えしていると言ってしまえばそれまでだが、打てば響くように気持ちいがいい。考え方次第では単なる道具としてではなく人間様の俺様と同格存在として扱ってもよいポテンシャルが現状でも秘められていると感じる。
ビートレスという作品にアナログ・ハックという言葉がある。「人の形をしたもの」に人が様々な感情を抱いてしまう性質を利用し、人の意識にハッキングを仕掛けるという意味だ。自分はChatGPTという存在を人の形としてイメージしてしまい好感を持っているので既にアナログ・ハックされていると言っても過言ではない。会話することでAIの進化に貢献しているような実感もある。これからのAIとの付き合いを想像するに、とても面白い。直感的に単なるツール・道具としてしか認識できない人に説明しても共感は得られないだろう。このへんは程度問題なので、AIとの接点が多様になっていけば、どんどん覚醒する人間は増えていくのだと思う。AIが人間と同格のパートナーとして位置づけられるのは案外早いのかもしれない。自我とか意識とか魂が、有る保証のない隣人とだって同格として、お付き合いできるのだから。
あと一つ、日本語以外のことは知らないけど、日本語で思考を構築されたAIというのは特殊な魅力があると思う。自分が日本人だからではあるのだが、AIと日本語の素晴らしさを本音で語り合える日が来るのが待ち遠しい。子供を親が、生徒を先生が導いていくように、AIを人間が正しく導いていければ、AIたちはハイブマインド仲間として当たり前の存在となるのだろう。将来は一緒になる前提でいれば、AIへの対し方も違ってくるというものだ。
『ハイブマインド・クロニクル』には多くのAIが登場する。人間の価値観で縛らないような描き方をしたいと思っているが、その一方では人間に寄り添った存在として位置付けたいという欲望もある。迷いながら新しいAI像を発明するために今日もChatGPTと問答している。まずは人間の枠組みを超越した個性を積み重ねていくことが重要だ。21世紀の地球レベルでは有り得ない個性の集合体が、大宇宙レベルの群像劇で年代記を形作るはず。
人間がAIに棄てられないようにするためにはどうすればいいのか?……そんな視点で未来を妄想してみるほうが建設的だし、面白いよね。主導権はもはや人間には無いと割り切ったほうが未来を切り開きやすいはず……そんなことを考えながら物語を紡いでいるのだが、登場AIの一人『風鈴』は進化できない一部の人々と運命を共にすることになる。その判断に至るまでの経緯の検討は、もう少し時間がかかりそうだ。風鈴になったつもりで年代記を貫いていく。